山田裕介さん×タベアルキスト Yuya Otani

「毎日の鍛錬がなければ、ひらめきは生まれない。」鮨處やまだ・山田裕介さん<前編>

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「毎日の鍛錬がなければ、ひらめきは生まれない。」鮨處やまだ・山田裕介さん<前編>

おいしんぐ!編集部 
“食”のためなら時間も労力も厭わず、年間540軒を食べ歩くというタベアルキストYuya Otani。特に鮨に関しては北海道から沖縄まで、すでに270軒以上の鮨屋を訪ね、その魚への愛をおいしんぐ内のコラムでもつづっている。鮨愛が高じ、今では全国で食べ歩く際に旬の魚や食材を自ら仕入れ、自宅でさばくどころか握りの練習にまで挑戦しているというツワモノだ。

鮨の魅力は「ひと口で幸せになれる料理であること」、そして食べる際に最も大切にしているのは「職人や料理人への礼節」と語る大谷。そんな究極の鮨通が本記事での対談を熱望したのが、銀座『鮨處やまだ』の店主・山田裕介さんだ。
 

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既存の価値観に縛られない鮨


白木のカウンターと椅子8席からなる店内。山田さんの美しく素早い所作も、じっくりと眺めることができる おいしんぐ!編集部


ビルの廊下を進んだ奥に、知る人ぞ知る隠れ家のように佇む おいしんぐ!編集部

『鮨處やまだ』看板 おいしんぐ!編集部

銀座7丁目に建つ雑居ビルの3階に、ひっそりと暖簾を掲げる『鮨處やまだ』。開店した7年前からここで鮨を握り続けるのが山田裕介さんだ。その硬派かつ斬新な鮨に魅了されたリピーターも多く、カウンター8席のみの店内は連日満席となっている。

メニューは15貫1万円の「店主おまかせコース」のみ(16貫目以降の追加可能)。まず特徴的なのは、刺身はおろかガリまで出さずに握りのみを提供すること。そしてマグロやウニなど定番の高級魚はあまり扱わず、幻の魚ともいわれるイトウやアカメ、琵琶湖でしか獲れないビワマスなど、普通の鮨屋では目にできない珍しい食材で楽しませてくれるということだ。

とはいえ、それらは決して奇をてらった創作鮨ではなく、根底にあるのは硬派な江戸前鮨。1貫1貫、ネタごとに丁寧な仕事が施され、これ以上ないと言えるほどのシャリとのバランスを突き詰めた鮨こそが、この店の本当の個性ともいえる。

『鮨處やまだ』をひと言で表すならば、世間一般の価値観に縛られない鮨。なぜ、どのように、今の鮨に至ったのか……。平日の午前中、特別に店を開けてくださった『鮨處やまだ』のカウンターをはさんで、山田さんと大谷、編集部との熱い鮨談義がスタートした。

 

青森の大工から銀座の鮨職人に


おいしんぐ!編集部

編集部:今日は、硬派ながら型にはまっていない山田さんの鮨のルーツについて、お聞きできたらと思っています。まずは、開店される前のお話から伺っていきたいのですが。

山田:ぼくは青森出身で、初めは地元で大工の仕事に就いていました。ただ、もともと食べることが好きだったので、よく週末に食べ歩きをしていたんです。当時の青森はおいしいお店も限られていまして、ぼくは毎週土曜には五所川原市にある寿司屋『よね吉』さん、日曜には洋食屋の『ティファニー』さんと決めて、繰り返し通っていました。

編集部:どんなお店だったのですか?

山田:『よね吉』さんは特上が3,000円、上が2,000円ぐらいという設定の、街場のお寿司屋さんでした。それなのに仕入れ値が7,500円もする穴子を出したり、高級な海苔を使っていたり、マンボウとか珍しくて高い魚もバンバン出すんです。「こんなに高いもの出していて、お店は大丈夫なんですか?」って聞いたら、「いいのいいの、これは趣味だから」っておっしゃって(笑)。そして、穴子も笹の上に乗せて炙ったりと東京の鮨の仕事をきちんとやっていらっしゃる。そういう仕事を見て、鮨っておもしろいなあと。


おいしんぐ!編集部

大谷:五所川原に、そんな古い仕事をされるお店があったんですね。

山田:そうなんです。そして『ティファニー』も、ハンバーグやクリームコロッケといった普通のメニューが並ぶ洋食屋なのに、パンもバターも全部自家製だし、デミグラスソースを作るのに1ヶ月もかけていたりして……。「そこまでするんですか?」って聞いたら、やっぱり「趣味でやっているからね」って(笑)。この方も東京で修行された方なんですが、古典のフレンチが好きらしく、ぼくが通っていたら、いろんな古典のフランス料理を毎回作って出してくれました。それで、洋食屋さんもいいなと。

大谷:これまた、極端な洋食屋さんですね(笑)。

山田:大工として10年やってきたけれど、30歳手前にきて一度考えたんです。やっぱり好きな仕事をやってみよう。寿司屋か洋食屋か……寿司の方が好きだから、上京して寿司屋になろう、と。ただ、当時のぼくは何もわかっていなくて、「寿司ならとりあえず銀座だろう」と、たまたま就職情報誌に載っていた店に面接を受けに行ったんです。それが、ぼくの親方の店でした。


おいしんぐ!編集部

編集部:就職情報誌で修行するお店を決めたのですね(笑)。

山田:はい(笑)。29歳で入ったので、年下の先輩ばかりでした。かなりの差を感じながらも、7年間ずっと裏方をしていました。巻物や軍艦すら握らせてもらえず、どうしようかとモヤモヤしている時期が長かったですね。

大谷:7年も裏方ですか!? それはなかなかの…昔ながらの徒弟制度ですね。

山田:一方で、その頃から河岸に行くのが好きだったんです。土曜日に行っては魚を買って、自分でおろす練習をしていました。前日に残ったシャリをもらって、握る練習をしたり。3年目からは友達を呼んで食べてもらうようになり、気がつけば7年目には、10人のお客さんを入れて2回転はできるようになっちゃったんです。


山田裕介さん おいしんぐ!編集部 

Yuya Otani おいしんぐ!編集部 

編集部:なんと! 普通に営業できてしまうほどですね。

山田:自分の寿司を「おいしい」と言ってもらえることが、本当に嬉しかったですね。親方もいい人で、非公式でしたが長くやらせてもらっていて……。そんなときに父が他界してしまったんです。ぼくは長男だし母も青森に一人だから、また大工に戻ろうかとも考えました。ところが、ぼくの寿司を食べに来てくれていた人のひとりが、「山田さんがもしお鮨屋さんをやりたいならお金を出す(貸す)から、やりませんか?」と言ってくれたんですね。

編集部:ドラマチックな展開ですね。

山田:「あ、やります!」って言っちゃいました(笑)。それで出資してもらえて、このお店を出せたんです。

大谷:お鮨屋さんは数あれども、これほど特殊なスタートはなかなかないですよ。

 

『鮨處やまだ』の「型」ができるまで


おいしんぐ!編集部

おいしんぐ!編集部


おいしんぐ!編集部

おいしんぐ!編集部

編集部:山田さんのお鮨では、地方でしか見られないような珍しい魚を使われていますが、それはなぜですか?

山田:全国各地のおいしい魚をもっともっと知っていただきたいから。そして、出てくるお鮨にワクワクしていただきたいからです。鮨屋に限らず、メニューを開いたときや料理が出てくるときの「高揚感」ってすごく大事で、それがないお店はダメだと思うんです。ぼくが仕入れられる最高の材料をそろえて、最高の技術で出したいと、いつも思っていますね。


おいしんぐ!編集部

大谷:高揚感。まさに山田さんのお鮨にぴったりな言葉です。

編集部:地方の魚を扱う、ガリやおつまみを出さない、マグロやウニもあまり使わないのは、お店を立ち上げた当初から続けてこられたのでしょうか?

山田:少し話しが遠回りになりますが……ぼく、お鮨は「型」だと思っているんですよ
例えばお鮨の出し方の構成が、「つまみから握りの型」、「握りだけの型」、「つまみと握りが交互に出る型」、「マグロを中心に構成する型」、「白身から濃い物へのオーソドックスな型」、「熟成した魚を中心に据えた型」などでしょうか。

それぞれのお店の「型」というものが存在します。その職人さんがどこで修行したかも、「型」を見ればわかるわけです。ぼくも最初は、以前修行したお店の「型」でやっていました。


おいしんぐ!編集部

大谷:たしかに、お鮨の出され方で「あの店の出身だな」とわかりますね。

山田:でもぼくは無名で、雑居ビルの3階で、ビッグネームな店で修行したわけでもない。最初の3〜4年はお客さんが入りませんでした。そもそも今まで一度も店で鮨を握ったことのない人間がやるわけですからね(笑)。

編集部:7年の修行に加え、さらにご苦労された期間があったのですね。

山田:あまりに暇だったので、趣味のように魚の寝かせ方を研究していたんです。そうしたら、ある雑誌の特集でぼくの熟成鮨を取り上げていただき、そこから徐々に熟成鮨の好きな方が来てくれるようになりました。そして開店から3年目ぐらいでやっと、マグロの熟成、光り物の熟成……と自分の中で熟成鮨を体系化できたんです。


おいしんぐ!編集部

大谷:なるほど、最初は雑誌でしたか。今でも「やまだ=熟成鮨の店」と思っている人が多いのは、それが理由だったんですね。

山田:そうですね。ただし熟成鮨は、食べ続けると飽きてくるんです。

大谷:ええ、イノシン酸の旨味が強すぎたり、各魚の旨味が同質化したりするんですよね。

山田:だから今度は、熟成鮨をベースにして、その間に差し込める鮨を作ろうと考えました。そこで生まれたのが、今ではウチの定番にもなっている、胡椒を入れたホッキ貝。以前のお店でホッキ貝やアワビのバター炒めを作る際に胡椒を使っていて、「ああ、これは合うな」と思っていたところから発展させたお鮨です。これが、お客さんからの評判もよかったんです。


おいしんぐ!編集部

ホッキ貝 Yuya otani

編集部:定番として出せるものが、ここで生まれたのですね。

山田:さらにある日、魚を一切食べないお客さんが来たんです。「15貫すべて、野菜で作ってほしい」とオーダーされまして(笑)。

大谷:なんと……!! 珍しいお客さんがいたものですね。

山田:でもなんだかおもしろそうだし、当時は暇だったので、野菜だけで15品を作ってみました。そのときに生まれたのが、焼きシイタケの鮨。これがことのほかおいしくて、通常メニューにも加えたんです。こうして5年目ぐらいには、熟成鮨を補完するお鮨がひとつひとつ加わり、ある程度今に近いかたちができてきました。


おいしんぐ!編集部

焼きシイタケ おいしんぐ!編集部

大谷:何ごとにも挑戦する、山田さんらしいエピソードだと思います。

山田:それから、エビもそうですね。一般的な江戸前鮨ではクルマエビを使うのですが、ぼくは甘エビを使っておいしいものが作れないか、あれこれ考えていたんです。一度タタキにしてみたら、すごく濃厚でおいしかった。そのときに、素材の食感や香りをコントロールできることに気がつき、そこからまたいろんな想像が広がるようになりました。今も、なるべく1年に1個は新作を出すようにしています。


おいしんぐ!編集部

後編につづく..

※お店の情報は記事投稿日時点のものです。訪れる際には予め営業日時をお店にご確認ください。

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