東京という場所で展開するレストランとして大切にしていること

個性と個性を掛け合わせて表現するイノベーティブな東京スタイル。「H」堀江徹哉さん

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個性と個性を掛け合わせて表現するイノベーティブな東京スタイル。「H」堀江徹哉さん

おいしんぐ!編集部

日々多くの情報が行き交い、国内外を問わずさまざまな場所から優れた食材を手に入れられる東京。「いま、東京で”東京らしさ”を体感できる店は?」と問われればまず、この店を挙げずにはいられない。

恵比寿駅から徒歩5分、山手線沿いの坂道を上った「ヒルトップビル」の4階。扉を開ければ、黒い壁に囲まれライトアップされたコの字型カウンターを中心に据えた、大人の隠れ家のような空間が広がっている。

店の名は「H(アッカ)」。1988年生まれのシェフ・堀江徹哉さんがイタリア修業から帰国し、いくつかのお店で働いたのち立ち上げた店だ。父親がフレンチレストランのシェフであり、自らは日本で基礎を学んだ後、イタリアで4年半の修業を重ねた。日本各地や世界各国から選りすぐった食材を使って創り出すのは、フレンチでもイタリアンでもない「イノベーティブ」な料理だと語る。

料理をいただきながら驚くのは、生産者への愛に溢れた料理の説明だ。何県のどんなところで、何という名前の人が、どんな思いで育てている食材なのか。それはどのような味で、どこが優れているのか。食材の一つ一つが、愛情たっぷりに語られる。そうして選び抜かれた個性ある食材たちは、堀江さんの手によって見事に混じり合い、主張し合い、お互いを引き立て合っていく――。

色や形や香りなどの個性を持った料理が、青や茶といった鮮やかな皿に乗って登場するのも面白い。ビビッドな色同士を組み合わせるファッションのように、あえて個性ある色や食材を掛け合わせることで、自分達らしさを表現したいのだと、堀江さんは言う。

オープンから1年半。神楽坂から恵比寿に場所を移し、ますます勢いを増し多くの人を魅了している「H」。その料理への思いやチャレンジしている表現について話を聞いた。


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恵比寿駅から徒歩5分のビル内にある、隠れ家のような空間。

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中央に10席のコの字型カウンターを備えたシックな店内。

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言葉もわからないまま、イタリアへ

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「H」のシェフ、堀江徹哉さん。イタリア修行時代の25歳から続けている金髪がトレードマーク。

——堀江さんが料理人を目指したきっかけを教えてください。

堀江:父親がフレンチレストランのシェフだったんです。当時はフランスで修業して帰ってきた人たちが、フランスの伝統料理を日本の人たちに伝えようと、いわゆる「グランメゾン」的な店を出すのが主流でした。父もフランスで8年間修業し、帰国してクラシックなスタイルのフランス料理店をやっていたんです。

おかげで僕も幼い頃からごく自然に料理に触れていました。学校帰り、家に誰もいないときは父のレストランで過ごしたり、夏休みには店を少し手伝ったりしていましたね。小学校の頃から魚の下ろし方やエビの剥き方みたいな基本的なことは教わっていて。そのうち自然と、自分もやりたいなと思ったんですよね。


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番号のついたコの字型のカウンターテーブル。カトラリーが入った引き出しは特注のもの。

——料理人としてのキャリアのスタートはいつでしたか?

堀江:高校では野球に打ち込んでいました。3年生の夏に野球部を引退して、みんなは受験勉強を始めたけれど、自分は料理の道に進もうと思って、夏休みから父の店や父の知り合いのお店を手伝ったりして……そこからがスタートでしたね。

高校を出て、最初はパティシエからスタートしたんです。反抗期というのか、当時は父親をずっと見ていたこともあり、違うことをやってみたいと思いがあったんでしょうね。フランス菓子がすごく好きだったし、パティシエの道もいいなと思ったので1年間はお菓子の勉強をしました。でも1年やってみて、「ああ、自分はやっぱり料理のほうが好きなんだな」っていうことがわかって。

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——そこから料理に転向されたんですね。

堀江:そうですね。初めは父の知り合いのお店を手伝わせてもらいながら料理に慣れていって。そのうち、フランス料理も好きなんだけど、イタリアもやりたいなと思ったんです。「なんで?」って聞かれても、特にわからないんですが(笑)。とにかくイタリアに修業にいきたいと思って、24歳の終わりから4年間いきました。

——イタリアでは、どんなお店で修業を?

堀江:周りの先輩たちは、日本にいるうちに現地で働くお店を紹介してもらってから行っていたのですが、僕は言葉も何もわからないまま行ったほうがいいと思っていたんです。父親世代は潜りで行くのが当たり前のような時代だったし、そのほうが人として強くなると思って。だからイタリアに着いてから、働く店を自分で探しました。


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——どのように探したんですか?

堀江:ミシュランガイドを買って、55軒ぐらい電話して。言葉はわからないから、辞書で「ここで働きたいです」っていうイタリア語だけを調べて……。たまたま隣の家に、イタリアに長く住んでいる日本人の奥様がいたので、その方に助けてもらっていましたね。電話越しの返答がわからないので、ボイスレコーダーで録音したものを聞いてもらって、訳してもらって。

——ものすごい気概を感じます。

いい返事はほとんどなかったんですけど、50軒目ぐらいの電話をかけたときに、たまたまそのお店のスーシェフが日本人の方だったんです。今でもすごく仲良くさせていただいているんですけど、その方にプーリア州にある一つ星レストランを紹介してもらうことができました。


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——良かったですね! そのお店ではどんなことを得ましたか?

堀江:シェフは上海のホテルレストランに長くいた人で、アジアの食材をプーリアの郷土料理に落とし込むという、かなりクリエイティブなスタイルのお店でした。何もわからずに入りましたが、いい経験ができたし刺激になりました。

ただ、最初から一つ星に入ってしまい、ましてや世界中からお客さんが来るようなお店だったので、言葉がわからない自分には何も任せてもらえないし、これじゃあ成長しないなと気づいたんです。3ヶ月ぐらいいたのですが、やっぱりまずは言葉を覚えてこようと思って、ヴェネト州に移りました。

——星付きレストランで働くことも大切だけれど、それよりも言葉が重要だったということですね。

堀江:当時は自分もギラついていたので「ミシュランの店で働きたい」っていう思いがあったんですよね。でも、言葉がわからない人が入っても洗い物や雑用係になってしまうし、ミシュランがすべてでもありません。現場の言葉の速さに慣れることがやっぱり大事でしたね。もし当時の自分や、これから修業に行く若い料理人にアドバイスできるのだとしたら「最初は街場の小さい店で言葉を覚えてから行ったほうがいいよ」と伝えたいですね

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毛蟹とズッキーニのミルフィーユ。福島・郡山の村上さんが育てたズッキーニを毛蟹とともにミルフィーユ状にし、沖縄の具志堅さんから届いたオクラと岐阜・多治見の「廿原ええのお」のマイクロ赤しそを載せ、蟹の出汁と鰹出汁で作った特製の土佐酢、ブッラータチーズのソースで味付け。西東京「ニイクラファーム」で育ったレモングラスとミントが香る、冷製の前菜。最後にお客さんの目の前で、ディルのオイルをかけて完成させる。

——2軒目はどんなお店だったのですか?

堀江:星付きではない、家族経営のお店でした。家の目の前で野生のキジを狩ったり、わざわざイタリアからクロアチアに狩りに行ってヤマシギを獲ってきたりする、家族全員がハンターという一家なんです。鳥や豚など生の食材や日本ではなかなか使えない食材に触れることができましたね。僕のこともファミリーの一員のように思ってくれて、休みの日もお世話になったし、そこで言葉もたくさん覚えて友達も増えたんです。

「またいつか星付きレストランに戻りたい」ということはつねづね言っていたので、「それなら言葉遣いはもっと丁寧なほうがいい」「敬語の使い方も覚えたほうがいい」と、いろいろ教えてもらって。その店がいい分岐点になって、その後二つ星、三つ星で働けるようになったんです。

 

イタリアで学んだ、食材への愛と生産者への愛

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——2軒目でさまざまな食材に触れ、言葉も覚えた堀江さん。その後はどんなお店でどんなことを経験されたのでしょうか?

堀江:3軒目は、ヴェネト州にある魚介専門の二つ星レストランでした。ですがそのすぐ後に、ずっと働きたいと思っていたフリウリ州の二つ星レストランに空きが出たので、そこへ移りました。

その4軒目では郷土料理というよりは、イノベーティブなレストランでした。3年ほどいたのですが、僕が入ったときがちょうど昇り龍のように勢いのある時期だったんです。イタリアのグルメ雑誌「ガンベロ・ロッソ」に載っている点数が90点を超えると三つ星レベルと言われているんですが、僕が入ったときは83点だったのが、3年目で92点になっていましたから。


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——3年もいらっしゃったんですね。フリウリ州はどのようなところでしたか?

堀江:すごくいいところで、山もあれば川もあるんですよ。だから山の食材と川の食材を組み合わせるという勉強や経験はかなりできました。あとは街の人たちが温かいし、それだけじゃなくて常に「上に行ってやる」という思いが強い街だなとも感じました。

料理人としての技術に関して、僕は日本人の技術はすごく高いと思うんです。ただ、自分の国への愛や、自分の国の食材に対する愛、生産者に対する愛っていうのは、イタリアの方が強いなと思いましたね。

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——堀江さんが「H」で大事にされている、食材をなるべく残さず最後まで使い切るという部分は、そのときの経験から来ているのでしょうか?

堀江:そうだと思います。その店のシェフがそういう人でしたから。食材の生産者ともまるで友達みたいな感じでつながっていて。そういう人のところには、いい食材が回ってくるんです。そりゃそうだなと思いましたね。ちなみに、今年の秋には僕がイタリアに行って、そこのシェフとコラボレーションディナーのイベントをしようと話しているんです。


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小田原「さんの」から届いたキンメダイを炭火で軽く炙った一品。付け合せのはこべは西東京のハーブ農園「ニイクラファーム」のもの。甘みのあるカブ「あこや姫」のソースはキンメダイの頭と骨をベースに出汁から作っており、この一皿でキンメダイ一尾を余すことなく使っている。

——そのお店で得られたこと、インプットできたものはどんなことでしたか?

堀江:最終的には一番いいポジションにも就かせてもらいました。ブルガリやシャネルなどハイブランドとのコラボレーションイベントがよく開かれるようなお店だったのですが、そうしたイベントにも必ず呼んでいただけるようになって。本当に毎日忙しかったですけど、充実していました。

研修生もたくさんいたので、自分が指示を出さなければならないんですね。毎晩40人ほどのお客さんを迎えるにあたって、自分が一つでも指示をミスするとすべてが狂ってしまう。ケータリングもあったので、毎週のように300とか200という数の料理を用意しないといけない。だから頭の回転をいかに速くし、的確な指示を出すかという点で、すごく勉強になりました。


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「H」のソムリエを務める菅野浩和さん。時に料理に寄り添い、時に意外さや驚きを与えてワインペアリングで楽しませてくれる。「シェフの料理は生産者にフォーカスし、ひとつひとつの素材を非常に大事にした料理なので、ワインが料理に勝ち過ぎないようにと考えています。ただし料理との同調を基本としながらも、少し変化球も混ぜ、ワインペアリングとしての緩急も味わっていただけるように流れを構築しています」

——イタリアでそれだけの活躍をされていた中で、帰国を決意したのはなぜですか?

堀江:僕は一つ星、二つ星、三つ星、星なしのレストランを一通り経験したら帰ろうと思っていたんですね。それが経験できたというのがまず理由の一つです。

もう一つは、父の言葉ですね。僕はもともと海外が好きだったので、イタリアの次はオーストラリアやロンドンなどの英語圏にも行こうかなと思っていたんです。父親とその話をしていたときに言われたのが「ずっと海外に住むのならいいけど、最終的に日本で店をやりたいなら、戻ってきたほうがいい。長くいればいるほど、海外の感覚に慣れすぎるから。食材も違うしお客さまの気持ちも違うから、料理にブレが出るよ」と。

僕は日本人として将来は日本に戻るつもりでいたので、フランスで8年間修業してきた父の考えを大事にするべきだなと思って、帰ってくることにしました。

 

いいものを選んで組み合わせられるのが、東京の強み

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——「H」ではコースのメニューを説明するときに、料理だけでなく各素材の生産者さんに対する説明をたっぷりとされています。生産者さんとのお付き合いにおいては、どんなところを大事にしていますか?

堀江:海外に行って自分が一番恥ずかしかったのが、日本のことを全く知らなかったことでした。日本は何でもそろうし、スーパーでもおいしい食材がたくさんあるけど、それがどんなものなのかあまり知られていないんです。

でもイタリアでは、みんなが母国や街を心から愛していて、誰かに話すときにもすごく楽しそうに話すんですよ。「こういう食材なんだよ」「こんな生産者なんだよ」って。話を聞いていると、想像が膨らんで「おいしそうだな」「どんな人なんだろう」って思えてくるんですよね。だから僕の店では、そこを大事にしたいと思いました。


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——まさに「H」では食材や生産者さんのことを楽しそうに話してくださいますね。

堀江:日本に帰ってきて、日本には素晴らしい生産者さんたちがたくさんいることを実感しました。中にはスーパーなどには下ろさずレストランだけとか、インターネットだけでしか販売していない方もいます。顔が見えないけれど、おいしいものを作っていたり面白いことをやっている「尖った」生産者さんたちがたくさんいるんです。だから僕は、そういう方々をもっと巻き込みたいと思っています。

自分の店で尖った生産者さんたちをプレゼンすることで、お客さんに食べていただくことができるし「おいしかった」って言っていただけます。そして、その言葉を生産者さんたちに伝えれば、喜んでいただけます。僕はそういうことがしたいなと。

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——東京という場所で展開するレストランとして、どんな思いを持っていらっしゃいますか?

堀江:いまは食材の流通がすごくよくなっていて、東京にいれば全国からの食材が何でもすぐにそろう時代です。でも、やっぱり地方は地方の強さがあるんです。例えば広島の生産者さんだったら、やっぱり広島の方々に一番いいものを送るわけですよね。

そうした中で、東京の強みっていうのは「何でも組み合わせられる」ということだと思うんです。全国の散らばっている中から、僕がおいしいと思うものだったり、紹介したい生産者さんたちを選んで組み合わせてプレゼンする。これは地方ではなかなかできない、東京らしさだなと。そしてそれが、イノベーティブな料理につながっているなと思っています。


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——イノベーティブな料理とはどんなものなのでしょうか?

堀江:父親がフレンチをやっていて、自分もパティシエをやったり、イタリアに行ったりしていて、でも日本人で……って、いろいろ混ざっているんですよね。日本人とイタリア人とは育ってきた環境が違うし、小さい頃から食べてきているものも違います。僕らはやっぱりお米の文化で、味噌汁が好きで、給食は小学校でカレーライスとか、みんな同じものを食べてきたわけで。僕がフレンチやイタリアンを作っていても、感性は日本人なんですよね。

だからぼくの料理はイタリアンでもフレンチでもなくて、心の中ではイノベーティブな料理なんじゃないかと思っています。「何料理屋さんですか?」って聞かれたときには「創作料理です」とは言うんですけど、なかなか伝えるのが難しいところはありますね。でも、お店に来て食べていただければ、どんな料理かわかっていただけるかなと思っているので。

 

ビビッドな色を掛け合わせて、自分たちらしさを表現

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——イタリア料理、フランス料理という枠に収まらないのも堀江さんのお料理の魅力ですよね。そしてお皿のカラーセンスや色合いも特徴的だと思うのですが。

堀江:海外の星付きレストランは真っ白のお皿が多いんです。お皿をキャンパスに見立てて絵を描いていくというのが、昔からの言い伝えなんですよね。僕も白いお皿は好きですし、ずっと使ってきました。

色を使うのは、自分たちらしさを表現したいときですね。たとえばファッションのように、ビビッドな色とビビッドな色を掛け合わせて、より目立たせたりとか。あとは同系色を合わせるのも好きで、茶色いお皿に茶色い料理を乗せたり、黒いお皿に黒いものを合わせたりするのも好きですね。こうじゃなきゃいけないっていうのは、ないと思います。


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店のスペシャリテでもあるダチョウのカツサンド。茨城県のダチョウ農家・加藤さんが育てたダチョウの一番柔らかいフィレ肉を使用。パンは練馬「パーラー江古田」がその日の朝に焼いた食パンで、内側にマスタードと発酵バターを塗っている。お客さんが食べる直前に、トリュフをふんだんにかけて完成。

——堀江さんご自身も金髪ですね。

堀江:25歳からずっと金髪なんです。僕はイタリアで、二つ星や三つ星レストランでのキャリアにつなげていくためには、料理の腕とか真面目さだけじゃなくて「なんだこいつ」っていうインパクトを残すのも大事だなと思ったんです。「ああ、あの金髪で身体がデカい日本人ね」っていう印象を残すだけでも勝ちだなと。イタリアのあるイベントでそうやってうまく行ったので、験担ぎじゃないですけど、帰ってきてからも金髪を続けています。

東京の数あるお店の中で、おいしいのは当たり前。その上でどんな印象を残すか、何を感じていただきたいか。料理はもちろんですけど、それ以外のところで目立つのも大事なことなんじゃないかなと。


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「H」の〆は、旬の野菜を使って作るアイスクリーム。この日のアイスは静岡・伊豆「滝尻わさび園」の浅田さんが作っているわさびで作ったもの。新潟の塩「白いダイヤ」とヴェネト州のフルーティなオリーブオイル、そして擦り下ろし立ての真妻わさびが添えられている。

——「H」のコース料理で印象的なのが、デザートのアイスを食べるときのスプーン。これはお父様から譲り受けたものだというお話しとともに、プレゼンテーションされていますよね。どんな思いがあるのでしょうか?

堀江:もともと、古き良きものが好きなんです。こういうカトラリーは磨けばきれいになるし、経年美化で使えば使うほどきれいになってくるんですよ。

オーソドックスなものなので、このスプーンを使っていらっしゃるレストランやホテルもたくさんあると思うんですよね。いいものだし、数も少ないからこそ「この価格帯のレストランで使われるスプーンやフォークはこれだよね」っていう感じで、だいたいのお店で使われるカトラリーって、かぶってくるんです。

その中で自分達らしさ、自分しか表現できないものって何かなと考えたときに、自分も昔からこのスプーンを見てきたし、これを父親がずっと大事に使ってきたことを伝えることなんじゃないかなと思って。

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父から譲り受け、大事に使っているというスプーン。ひとつひとつのアイテムに、堀江さんの思いが詰まっている。

——その際、お父様とはどんなやりとりがあったのですか?

堀江:「あれを『H』で使いたいんだけど」って言ったら「ぜひぜひ使ってよ」って言ってくれて。父からは「俺の話をしてよ」とは言われなかったけど、僕はしたいなと思っていますよね。やっぱり、この道を選んだきっかけでもあるし、ずっと尊敬してきましたから。

——その考えも堀江さんの魅力だと思います。愛に溢れている人なんだなと(笑)。

堀江:はい! 愛に溢れてますよ(笑)。

 

芯はブレず、尖ったレストランでありたい

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——2022年の夏以降にやりたいことがあるんですよね?

堀江:まず今年は、秋にイタリアへ行きます。もともと修業から帰ってきたときに、どんなに忙しくても2~3年に一度はイタリアへ戻ろうと決めていたんです。20代の半分を過ごした国だし、刺激をもらった人たちもいるから。

今の時代、調べればいくらでも情報は見つかるけど、現地だからこそさまざまなアイデンティティや考え方を吸収できるわけで。それを日本でアウトプットしたいなと。コロナが少し落ち着いてきたので、このタイミングで刺激をもらいに行こうと思いました。今後はイタリアだけじゃなく、いろんな国にも行ってみたいです。

——現地で以前勤めていたお店のシェフとのコラボレーションイベントもあるそうですね。どんな姿を見せたいですか?

堀江:働かせてもらっているときは、シェフの料理をどう表現するかを考えてやっていたけど、今回はコラボなので、僕自身の表現としてこんなことをしているんだよ、っていうのを伝えられたらいいなと思っています。もちろん、日本の食材は持っていけないので、いま「H」でやっている生産者さんの思いを伝えることは難しいかもしれないけれど。できる限りやってきたいと思います。

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——今後は、「H」をどういう店にしていきたいですか?

堀江:芯はブレずにいたいです。生産者さんたちとは、もっと深くつながっていきたいのはもちろん、うちには尖ったソムリエもいて、ワインのペアリングもおすすめさせてもらっているので、「そのフックでいくんだ!」っていうところを、お客様に見ていただけたらなと思っています。先程「東京っぽい」と言っていただきましたが、「自分たちはこうしたい」っていうものを持ちながら、皆様に愛される「尖った」レストランになっていけたらいいですね。

それでは、最後に、
堀江さんにとって「おいしい」何ですか?

おいしんぐ!編集部

堀江:僕にとっておいしいとは、「誰でも言える魔法の言葉」、「世界で通用する魔法の言葉」です。おいしいって、食べる人を幸せにするし、作り手を幸せにするし、生産者さんを幸せにする、笑顔にする言葉だと思いますね。小さい子からご年配の方まで、すべての人たちが使える……まさに魔法の言葉です。

企画・構成/金沢大基 文/古俣千尋 写真/曽我 美芽

 

おいしんぐ!YouTubeチャンネルのインタビュー動画

おいしんぐ!のYouTubeチャンネルでは、堀江徹哉さんのインタビュー動画を見ることができます。
お店の雰囲気や料理、堀江徹哉さんが気になる方はチェックしてみてください。

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