世界的ラグジュアリーホテルの〝フィロソフィー〟を料理に。

「料理人である前に、ホテルマンであれ」ーーエグゼクティブシェフの躍進。シックスセンシズ 京都「Sekki(節気)」総料理長 宍倉宏生さん

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料理人インタビュー
「料理人である前に、ホテルマンであれ」ーーエグゼクティブシェフの躍進。シックスセンシズ 京都「Sekki(節気)」総料理長 宍倉宏生さん

おいしんぐ!編集部

世界の旅好きたちが憧れるトップクラスの自然派ラグジュアリーリゾート「シックスセンシズ」。アジア、ヨーロッパ、中東など世界各地に26のホテルを擁するこのホテルブランドが、2024年4月に日本初上陸を果たした。その地に選ばれたのは、京都・東山。大自然の中に建つリゾート型ではなく、ローマに次ぐ2つ目の「都市型」シックスセンシズの誕生となった。

ホテルステイにおいて重要な要素のひとつが、「食」の体験だ。「シックスセンシズ 京都」では朝食、ランチ、アフタヌーンティー、ディナーをシーズナルダイニング「Sekki(節気)」で楽しめる。1年を24の季節に分けた日本の伝統的な暦「二十四節気」をコンセプトにしており、コースメニューは約2週間ごとに変わっていくという。その季節、その節気ごとに、地元の生産者が育てた食材を使った旬のコンテンポラリー料理をいただくことができるのだ。


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立ち上げ時から「Sekki(節気)」のエグゼクティブシェフ(総料理長)を任されているのが、宍倉宏生さん。生まれも育ちも京都で、1981年生まれの43歳。複数のホテルで料理長や支配人を経験しながら身につけてきた力や知見を活かし、日々キッチンで腕をふるっている。

世界的なブランドによる日本初進出、そこでの食体験の全責任を担うという仕事。さぞ大きなプレッシャーや困難さが伴うのだろうと想像するが、宍倉さんは「プレッシャーはないです」ときっぱり。それよりもシックスセンシズのフィロソフィーをどこまで理解し、体現できるかに必死なのだと話す。

料理人である前に、ホテルマンであれ。その考え方を胸に、ホテルレストランのシェフとして高いプロフェッショナル意識を持ち続けてきた宍倉さん。素晴らしいエグゼクティブシェフとシックスセンシズの掛け算により生まれた、ナチュラルで優しく、創意工夫にあふれる「おいしい」の真相をお届けしたい。

バレーボール選手からシェフへの憧れ

おいしんぐ!編集部

――宍倉シェフは京都のご出身ですか?

生まれも育ちも京都です。ザ・リッツ・カールトン沖縄に務めていた2年間以外は、修行時代の店からハイアット、フォーシーズンズ、moksa、そしていまのシックスセンシズまでずっと京都なんです。

――身長が高いですよね。何かスポーツをされていましたか?

190cm手前ぐらいですね。ぼく、ずっとバレーボールをしていたんです。学生時代はインターハイのベスト8までいき、京都では優勝しました。

――かなり本格的にやっていたのですね。でもなぜバレーボールからシェフの道へ?

きっかけはラーメン屋のバイトでした。大きい会社がやっているラーメン屋で、フードコンサルタントが入っていたんです。そのとき店にいたホテル出身のシェフを見て「シェフってかっこええ! おれ、シェフになろう!」と。ラーメンひとつ作るのにも、動きや考え方の次元がまったく違うんです。まるで高校生バレー部が実業団やプロのプレーを見ている感覚でしたね。

その後いろいろあってバレーチームが解散し、19歳から料理の道へ進みました。料理学校には行かずに中華料理店やカフェで働いていましたね。そのカフェにはイタリアで修行したシェフがいて、手打ちパスタを何種類も作っていたり、ジビエまでやっていたり。キッチンの中でもイタリア語が使われていたんです。


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――まるでレストランのようですね。

シェフがやめた後、25歳だったぼくが料理長になり、28歳まではがんばっていました。でも、だんだん周りにいろんなお店が増え、売上が上がらず苦しくなってきたんです。そんなとき、近くに「ラ・ロシェル」出身の人たちがフレンチの店をオープンして。フレンチの勉強をしてみたかったから、「お金はいらないから、キッチンで働かせてほしい」と頼み込み、カフェの休みの日を返上して働きました。

――休日返上してまでも、学びたかった?

はい。ずっと仕事ばかりで、子どもは妻に任せきりでしたが、妻は応援してくれていました。10ヶ月続けた後、カフェを辞めてその店に移り、それから2年間働きました。オードブル、メイン、デザート、バンケットと一通りやらせてもらえるようになりました。

おいしんぐ!編集部

――イタリア料理に加え、フレンチの技術も取得。その後は?

魚料理の星付きレストランに移ったのですが、とにかく店が忙しくて。帰宅は深夜2時や3時、朝は6時ぐらいに市場に行くので、ぜんぜん家にいられませんでした。妻にも迷惑をかけっぱなしで、これ以上だと家庭崩壊するなと。「料理人やからこれぐらいがんばってんねん」って、自分で自分を褒めることは一回やめようと思ったんです。

ちょうど「ハイアット リージェンシー 京都」にいた知り合いから「うちで働かないか?」と声をかけてもらい、33歳のときにハイアットに入りました。だから経歴でいうと、街場10年、ホテル10年ですね。

料理人としての知恵と経験が足された沖縄の経験

おいしんぐ!編集部

――そこから宍倉さんのホテルシェフのキャリアが始まるんですね。

とはいえ、これまで料理長をやっていた33歳の自分が、キッチンでは一番下っ端。年下にこき使われながら働いていました。その後「フォーシーズンズホテル京都」がオープンして移ったのですが、役職も同じでした。これじゃ生活できないと、また妻を泣かせてしまいました。

――ホテルの世界に来たら、またイチからのスタートになってしまった……。

「この考え方はだめだ。やめなあかん」と思って。それまでは「料理をがんばっていればOK」っていうマインドだったけど、そこで初めて「大きい組織で基本給を上げていくため、役職を上げていくためにはどういうアクションが必要なのか」を考えたんです。

ホテルマンとして、会社員として、何が必要なのか。ホテルで求められる人材とはなんぞや。そうしたら、1年に1度役職が上がるようになり、気づけば副料理長になっていました。もう少しがんばれば料理長にもなれるというところまできたんです。


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――考え方を切り替えて、行動、努力したことが結果につながったんですね。

実はぼく、20代の頃から「ザ・リッツ・カールトン」の本をたくさん読んでいたんですよ。ザ・リッツ・カールトンの考え方やサービスってかっこいいなと憧れながらも、雲のはるか上の存在。ところがある日「ザ・リッツ・カールトン沖縄」から、料理長の役職でのお声がけをもらったんです。「トライアルとして、沖縄に来て実際に5コースの料理を作ってみてもらえないか?」と。

――トライアルで作った料理がよければ、料理長として採用されるということですね?

そうです。さっそく飛行機に乗って沖縄へ行き、料理長とイタリア人のエグゼクティブシェフに料理を食べてもらい、結果「ここで働いてくれないか?」「ぜひお願いします」ということになりました。20代のときからずっと本で読んできたザ・リッツ・カールトンの料理長に、37歳でなることができた。その後リッツでは、入社3ヶ月で年間のFive Starを取ることもできました。

――ものすごいスピードで階段を駆け上がりましたね。やはり、フォーシーズンズに入って考え方を変えたことが大きかったのでしょうか?

ええ。「料理人である前に、ホテルマンであること」の大切さとか、組織でどういう立ち振舞や発言が必要かなど、本当にいろいろ学びましたね。

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――沖縄ではどんな経験をされたのですか?

沖縄というと、シティのホテルと比べて馬鹿にされがちかもしれませんが、実際はリゾート地なのでかなり忙しいんです。流通も悪いから、沖縄の食材だけでイタリア料理を完成させなければならない。しかも、妥協せず、グランメゾンとしての料理を出さなければなりません。

そこで、皆があまり見慣れない沖縄の野菜や、食べ慣れない肉や魚を、どう料理すればいいのかを本気で考えるわけです。魚を刺し身にして出せないなら、昆布でしめてみようとか、ひとつずつ工夫していきました。沖縄での2年間は、料理人としての知恵と経験が足され、一番力が伸びた時期だと思います。

人生のけじめとしての挑戦

おいしんぐ!編集部

――その後はどのようなキャリアを歩まれたんですか?

沖縄には単身赴任で行っていて、月に一度、家族に会いに京都へ帰ってくる生活でした。39歳にもなり、そうした生活をそろそろ変えたいと思っていたところ、京都・八瀬に新しいホテル「moksa(モクサ)」ができると聞いて、移ることにしました。

moksaは小山薫堂さんが率いるオレンジ・アンド・パートナーズやブランディング・ディレクターの福田春美さんらが、ゼロから立ち上げるというホテルでした。外資系のホテルグループとは違い、歯ブラシひとつにしても自分たちですべて決めていくので、かなり大変でしたね。立ち上げの際はスタッフ皆で衣食をともにしながら作り上げていきました。役職はエグゼクティブシェフでしたが、最終的には総支配人、会社役員という立場になりました。


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――料理長、エグゼクティブシェフ、総支配人、会社役員にまで上り詰めて、仕事も不自由なく充実していたのでは?

はい。仕事は面白く、やりがいがありました。ただ……。まだ心の底で、外資系ホテルのエグゼクティブシェフになれなかったことを、むちゃくちゃ根に持っている自分がいたんです。フォーシーズンズでもザ・リッツ・カールトンでも、英語もあまりできず日本人であるぼくは、料理長の上のエグゼクティブシェフになることができなかったんです。

moksaで料理をするのは週に1度、料理長が休みの日ぐらいで、包丁もほぼ使っていない。スーツを着て総支配人をやっていて、本当にいいんだろうか? 料理がしたいという気持ちも高まってきて「やっぱり外資系のエグゼクティブシェフに、人生のけじめとして挑戦しなければ」と思ったんです。

おいしんぐ!編集部

――人生のけじめ。かっこいいです。

そんなときでした。「シックスセンシズ 京都」ができるらしいと聞いたんです。実は20年前に新婚旅行で行ったのが、タイ・プーケットのシックスセンシズだったんですよ。妻が選んでくれたんですけど、とにかくものすごくよかったから、京都にできると聞いて二人で楽しみにしていたんです。ぼくも「誰がシェフを務めるんだろう?」と気になっていました。

そうしたら、統括トップの方に呼ばれて「料理を見せてほしい」と。あるお題を出され、それに沿った7品の料理を作るというものでした。自分自身も好きだった外資系ホテルの、エグゼクティブシェフになるチャンス。なんだか燃えたんですよね。「ぶつけるタイミングが来た。やってやろう」と。

「シックスセンシズ」のフィロソフィー

おいしんぐ!編集部

――そこではどんな料理を作ったのですか?

まず、A4の紙の表裏に「シックスセンシズの考え方」というものが書いてあったので、ぼくはとにかくそれを100回ぐらい読みました。

――100回ですか!

ぼくはザ・リッツ・カールトンではイタリア料理で料理長、フォーシーズンズはフレンチで副料理長をしていたんですが、ホテルってやっぱりコンセプトがめちゃくちゃ大事なんです。シックスセンシズの場合は、ジャンルではなく「フィロソフィーを料理に」という考えでした。腸活だったり、ローカルの食材だったり、出来合いものは使わないということだったり……料理を作る前にまず、シックスセンシズが求めているものを自分の中に落とし込みました。

その上で、大原の朝市で野菜を、京都のお豆腐屋さんで湯葉を、お漬物屋さんでスンギを買うなどして、食材を地元でそろえました。プレゼンテーションのときには、柚子をくりぬいて、お餅を作って入れて、果汁を絞って……と目の前で見せるライブ感も大事にして。「もし自分がシックスセンシズの一員だったらこういう料理をするだろうな」というスタンスで挑みました。


おいしんぐ!編集部
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――審査ではどんな評価でしたか?

「エクセレント!」って言っていました(笑)。7品も目の前で作って、こちらは汗だくでしたけれど。でも、日本人では難しいと思っていたエグゼクティブシェフに、料理だけで届いたんだなと。嬉しかったですね。

――素晴らしいですね。

料理人って「これがおれの料理だ」というスタンスが多いと思うのですが、ホテルの世界ではそれは違うと思っていて。あくまでも、ホテルをプランニングしている人や、ブランディングしている人がいる。moksaを立ち上げからやり、支配人もしていたことで、その立場の人たちの仕事の大切さがわかるようになったんです。

ぼくは孤高の天才ではないし、海外で星を獲ってもいない。だとすると、シックスセンシズが求めるゴールを目指すのが一番なんです。サラリーマンぽい考え方ですけれどね(笑)。

おいしんぐ!編集部

――ホテルのシェフとしてのプロフェッショナルな姿勢だと思います。

ホテルって、バトンタッチなんです。受付の人が最高のチェックインをする。ハウスキーピングの人が最高のベッドメイキングをする。シェフが最高の料理を出す。ホテルの全員が関わって動き、お客さんがチェックアウトするときに初めて点数や評価につながるわけです。だから「おれの仕事ぶりが」とか、そういう世界じゃないと思っています。

――ハイレベル、ハイクオリティなホテルブランドとして世界的にも有名なシックスセンシズ。そのエグゼクティブシェフの役割というのは、大きなプレッシャーもあるのでは?

プレッシャーはないです。それよりむしろ、ぼくたちがシックスセンシズのフィロソフィーやカルチャーをどこまで理解し、体現できるかということのほうが心配でした。だから料理長とも、「何も考えず、料理だけに集中しよう。料理だけで結果を出そう」と話しています。

新しい発見と、自分のための時間を

おいしんぐ!編集部

――「シックスセンシズ 京都」の部屋にチェックインした際、置いてあるお菓子ひとつにしても驚きがありました。手間のかかり方に感動しましたし、とてもおいしかったです。

お部屋にあるお菓子は、ひとつひとつ手作りしています。見た目は地味ですが、ケミカルなものは使っていませんから、すっと身体に入っていくと思います。

――従業員の皆さんの「まかない」も、宍倉さんたちが作っているとお聞きしました。

普通のホテルでは、従業員の食事にはアウトソーシングで給食のスタッフを入れるんですが、シックスセンシズは「このホテルのチームで作ってください」と。だからこそ、たとえばケミカルなものを使わないとか、やさしい味付けだとか、フレッシュな素材とか、「ぼくたちはこういう料理を提供しています」ということを、食を通してスタッフに伝えられるんですよね。スタッフに対しての食育、トレーニングにもなっていると思います。

――お客さんに向けては、どういうアプローチを心がけていますか。

塩麹、醤油麹、甘酒、コンブチャなどはすべて手作りしています。また、地元の食材をきちんと選ぶことを大切にしています。よくホテルのグランメゾンに行くと「本日はフランス産の鴨です」みたいに出てきますが、やっぱりその土地に旅行に来ているということは、地のものを食べに来ているわけだし、そこのカルチャーを見に来ていると思うので。

――シックスセンシズはサービスのレベルが本当に高いホテルだと思います。キッズルームでスタッフが子どもを見ていてくれるから、その間に大人がスパでくつろげたり、部屋のアメニティやサービスも充実していたり。宍倉さんから見て、シックスセンシズ 京都ではどのように過ごすのがよいでしょうか?

おいしんぐ!編集部

価格帯は高いかもしれませんが、15時のチェックインから、翌日正午にチェックアウトするまで、このホテルで得られる経験と比較すると、実はそれほど高くもないと感じます。ステイやスパ、食事を通して新しい何かを発見をしたり、心をリセットしたりと、ぜひ自分のために時間を使って過ごしてもらうのが一番だと思います。

都市型ホテルですので、街の散策もおすすめです。近くには由緒あるお寺がたくさんあるし、祇園までも歩いて15分ほど。春には鴨川の桜も見られます。朝起きてちょっと散歩するとか、自転車で町を巡るのもいいですね。

おいしいとは

おいしんぐ!編集部

――宍倉さんにとって、おいしいとは何でしょうか?

自分自身の大好物ということで言えば、家のお皿で食べる京都のお豆腐。これがぼくにとってのおいしいご馳走です。玄米ご飯を炊いて梅干しを入れたおにぎりだったり、野菜をくたくたにしたお味噌汁だったり……こういう普通の料理を与えて育ててくれた親に、感謝しています。

もちろんファーストフードのポテトが「おいしい」ということだってあると思います。だって、あれひとつでハッピーになれるし、笑顔になれる。家族を幸せにするじゃないですか。ファミリーレストランにしても、食で人を幸せにする仕事をしている人たちはすごいなと尊敬しています。

その上で、自分が作る「おいしいとは」について考えるならば、「新しい発見」ですかね。シックスセンシズで今ぼくは「こんな料理、初めて作った!」というものばかり作っています。これまでは、イタリア料理とかフランス料理というコンセプトがホテルにあったので、古典を勉強してアレンジするというアプローチでした。でも、ここでは「シックスセンシズの料理をしてください」といわれるんです。

お客さんにも「これは何料理ですか?」と聞かれるんですけど、そういうときは「シックスセンシズ 京都の料理です」と答えています。シックスセンシズの理念を伝える料理が、土地の力を借りてできたらいいなと思っていますし、お客さんにも「これは何?」という新しいものとの出会いを楽しんでいただけたら嬉しいですね。

企画・構成/金沢大基 文/古俣千尋 写真/曽我美芽

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