熱意で道を切り拓き、出会いを糧に成長を続ける

身体がよろこぶ 究極の“食べ心地”を目指して。igora・オーナーシェフ 坂井務さん

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身体がよろこぶ 究極の“食べ心地”を目指して。igora・オーナーシェフ 坂井務さん

おいしんぐ!編集部

東急大井町線・九品仏駅から3分ほど歩いた場所に、ブルーの外壁が目を引く一軒のレストランがある。2019年夏の開店から約1年。才能ある若きオーナーシェフがそのセンスと実力を遺憾なく発揮している店として、料理人やワイン好きたちの間でも注目を集めている。

福岡から上京し、レストランサービスを叩き込まれた厳しい下積み修行。ナチュラルワインとの出会いをきっかけにイタリアとフランスに渡り、現地の料理とワインを学んだ留学時代。誰よりも努力をし、興味の赴くままにフットワーク軽く行動をし、たくさんの人との出会いに恵まれながら、オーナーシェフ坂井務さんは自分の道を切り拓いてきた。

「ぼくが目指しているのは、食べれば食べるほど、お腹がすくぐらいの食べ心地なんです」。食べ心地、飲み心地がよく、身体を元気にしてくれるイタリア料理やワイン——。「igora」の料理には、食材選びから調理法、味付けまで、そのすべてにシェフの思想が表れている。これまでのどんな経験が、こうした料理を生んでいるのか。約2時間のインタビューで、じっくりと話を聞かせてもらった。

内観 おいしんぐ!編集部

店内奥には大きな一枚板のカウンターが置かれている。おいしい料理ができあがる瞬間を目の当たりにできる特等席。


内観 おいしんぐ!編集部

外観 おいしんぐ!編集部

東急大井町線・九品仏駅から徒歩3分ほど。深いブルーの壁が目印。

 

怒られながらでもいいから、とにかく作りたかった。

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1983年生まれ、37歳の坂井務シェフ。素材選びや盛りつけはもちろん、器やインテリアなど空間の端々に、そのセンスが表れている。

——料理人の道を志したのは、いつからですか?

坂井:両親が共働きだったので、小さい頃からよく家で料理を手伝っていたんです。小学生のときには父の日や母の日にカレーを作ってみたり、中学・高校生のときは見よう見まねで前菜とパスタとメインのコース形式の料理を作ってみたり。親に喜んでもらえるので料理を作るのがどんどん好きになっていきましたし、将来は仕事としてやってみたいな、と漠然と思っていました。

——そんなに小さなころから、料理がお好きだったんですね。

坂井:高校卒業と同時に全寮制の料理学校に進みたくて、自分で入学届けまで書いたのですが、「大学は出ておきなさい」と親に説得されたんです。結局、福岡の4年制大学に通い、イタリア料理の店でアルバイトだけしていました。卒業後には会社にも就職しました。

——社会人経験もあるのですね?

坂井:でもやっぱり肌に合わなかったんです。たまたま当時ぼくが髪を切ってもらっていた美容師さんがいまして、彼は福岡で4店舗ぐらいを経営して東京でも活躍しているような方でした。あるとき、ぼくが将来のことを相談してみたら「やりたいことをやったほうがいいんじゃない?」と言われて。改めて何をやりたいのか考えたとき「やっぱり料理人をやってみたい」と思ったんです。

それを彼に話したら、「ちょうど明日、ピアニストの横山幸雄さんと食事をするから、一緒にどう?」と誘ってくださったんです。横山幸雄さんはワイン通、ワインコレクターとしても有名な方で、ブルゴーニュワインを取り揃えるレストランを経営されていました。東京・渋谷の「リストランテ・ペガソ(元・リストランテG)」と京都・祇園の「リストランテ・キメラ」というレストランです。その食事の会をきっかけに、横山さんの東京のお店で働かせてもらえることになりました。


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——急展開ですね(笑)。

坂井:それで、23歳のときに上京しました。時代的なところもありますが、当時の「リストランテG」はキッチン内では怒号が飛び交い、お客さんも半分それを楽しみにくるような、高級店ながらもガチャガチャとした活気のある店でした。そんな店で、黒服を着てサービスの修行から始まりました。

スーツの着こなし方、ネクタイのしめ方、爪の切り方、髪型から話し方、歩き方。すべてを直されましたよ。そのときの名残で、今でも爪を、白いところが残らないぐらいかなり短く切ってしまうんです(笑)。

——爪の切り方まで!

坂井:当時はパソコンもありませんから、予約の電話がかかってくるたびに、お客様のリストを紙の資料で検索していました。そして閉店後はお客様が着ていた服、嫌いな食べもの、使ったカードやタクシー会社、お話した内容を記録していましたね。帳簿やお客さんへのDMを書くのもすべて手書きでした。字がきたないとダメだということで、ボールペン字の練習までしましたよ。


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本田さんのサワラの藁焼き、ウイキョウ、グレープフルーツ、ミントのサラダ:九州・天草の漁師・本田さんから直送されるサワラを使用している。「シチリアなどにあるイワシ、ウイキョウとオレンジを合わせるパスタをヒントに考えました」。

——料理はやらせてもらえなかったのでしょうか?

坂井:サービスをやりつつ、少しでもキッチンに関わらせてもらえるように直談判しました。毎日みんなよりも2時間早く店に行ってホールの仕事を終わらせ、コックコートに着替えてキッチンの準備をしていましたね。まな板や調理器具を所定の場所にセットしたり、食材を仕込んだ日付をチェックしたりして、先輩がきたらすぐ作業できるような状態にしておくこと。これがぼくの最初の仕事でした。

——なかなかハードですね。

坂井:周りでは19~20歳ぐらいの子たちが料理を作っているけど、ぼくは料理学校も出ていないから何もできなくて。年下の子に「坂井さんめっちゃヘタですね」とばかにされながら、ただ言われたことをやる毎日でした。26歳までの3年間は、とにかくがむしゃらでしたね。お客さんにサービスで褒められることもなく、料理で評価もされず。

——サービスとして、料理人としての厳しい下積み時代を経て、いまの坂井さんがいらっしゃるのですね。とくに記憶に残っていることはありますか?

坂井:入ってから半年ぐらいで、初めてまかないを作ったときですね。まかない用に使える食材はわずかだし、知識もぜんぜんないし、完成時間には1分たりとも遅れてはならないという状況で……もう、ド緊張でした。ブロッコリーの芯を皮を取らずに出してしまったし、焦っているからパスタもやわらかすぎ、味も決まっていない。自分でもおいしくないのは明白でした。ダメだとわかっていたけど、これを出すしかなかった……。

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——結果はどうだったのでしょう?

坂井:キッチンの人たちはガマンして食べてくれましたが、直属の先輩マネージャーにはひどく怒られました。「ただお腹を満たせばいいんじゃない。料理人としておいしくないものを出すのは罪なことだ。もし料理人を目指すなら、ああいうものは二度と作るな」と。

ぼくにとって、まかないは相当勉強になりましたね。というか、自分の勉強の場は、まかないの時間しかなかったですから。店にある限られた食材でまかないを作ることももちろん大事なのですが、ぼくはいろんな食材を触ってみたかったので、自腹で羊のかたまりを買ってきて、それで作ってみたりもしていましたね。焼き方が違うとか、いろいろ言われましたが……。それでも、周りに怒られながらでもいいからとにかく作りたかったんです。

 

ナチュラルワインと出会い、イタリアへ。

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——そのレストランに勤めた後は、どのような経験を?

坂井:その後3~4年は、とにかく料理の経験を増やすために1年スパンでいろんなお店を転々としました。トラットリアのような店でバンバン作ってみたかったので代々木(現在は恵比寿)の「リベラ」で働いたり、60~70名ぐらい入る大きなところでもやってみたかったので外苑前の「青山ラピュタガーデン(現在は閉店)」でも働きました。そんなとき、29歳ぐらいのときに勤めていた「ボッテガ四谷」(現在は閉店)で、ナチュールを知ったんです。

——ナチュラルワインとの出会いですね。

坂井:すごく忙しい店だったので、営業が終わってもワインが飲みたい気分になるというよりは、水が一番おいしく感じるぐらいの状況でした。でも、初めてナチュラルワインを飲んだとき、疲れている身体に何のストレスも入ってきて、びっくりしたんです。

フランスのイヴォン・メトラという作り手の「フルーリー」というワインでした。そこから一気にはまりましたね。毎週、営業後にお店のスタッフ仲間と自分たちでフランスのナチュラルワインを買ってきて、ラベルを隠して飲み比べをしていました。


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ワインはナチュラルワインを中心に500本ほどがそろう。イタリア、フランス、スペイン、オーストリア、レバノン、チェコ、南アフリカ、北海道、山梨などさまざまな産地のものが楽しめる。グラスワインは900円~。

——みなさんで勉強されていたんですね!

坂井:その頃、「フェスティヴァン」というワインのイベントで、イタリアナチュラルワインのインポートをやっている「vinaiota」の太田久人さんに出会いました。かなり気合いが入っていて、「フランスなんかに負けるか!」というものすごいワインをそろえてイベントに出店していたんです。

ぼくはそれを飲んで衝撃を受けまして、1週間後には太田さんのご自宅とカンティーナ(ワイン倉庫)にも遊びに行かせてもらいました。太田さんがおもしろいワインをどんどん開けて教えてくださって、そこからイタリアへ行きたいという思いが強くなりました。

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「igora」のスペシャリテでもある、穴子と里芋の焼きテリーヌ。長崎の穴子、与論島の里芋、イタリアの薫製チーズ「スカモルツァ・アフミカータ」を合わせてカリっと揚げ焼きに。ソースはイタリアンパセリ、ケイパー、アンチョビのサルサベルデに、酸味をきかせた自家製マヨネーズを合わせたもの。

——そして、イタリアへ渡るのですね。

坂井:2014年、30歳のときにトスカーナの小さな町、シエナに行きました。観光都市なので、街の中心地にある店を何軒か食べ歩いたんですが、いいお店に出会えず……。街から少し離れ、昔からマンマがやっているような店はいいけれど、ここに拠点を置くのは違うなと思ったんです。

ちょうどそのとき「vinaiota」の社員のかたから、フランスで鏡健二郎さんという方がやっている「ドメーヌ・デ・ミロワール」というワイナリーのボランティアにいかないか?という声がかかったので、シエナの学校には休学届を出して、2ヶ月間フランスのジュラ県へ行くことにしました。住み込みで収穫を手伝ったり、ぶどうの粒を房から外す手作業をしたり、もちろん力仕事もやりながら、勉強させてもらいました。

——イタリアへ料理修行にいくはずが、フランスのワイナリーに住み込みに……面白い展開です。

坂井:収穫の時期が終わってから、イタリアに戻りました。「お店で働かせてくれませんか」というメールは50通ぐらい出したけれど、ほとんど返事はありませんでした。ぼくは日本にいるときからフリウリ州のワインがすごく好きだったので、フリウリのワイナリーに毎週行ける場所で働きたいと思って、就職先も決まらないまま、とりあえずフリウリ州のウーディネという街に行ったんです。

街に着いてから電話しまくって、唯一「話を聞くよ」と言ってくれたのが、100年ほど続いている星付きの老舗レストラン「ラ・タベルナ」(現在はミシュラン一ツ星)でした。

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——坂井さんは常に、熱意で道を切り拓いてこられていますね。

坂井:通常、星付きレストランで働く研修生は、みんなタダ働き同然なんです。ぼくはそれがいやだったので面接のときに「最低2000ユーロはほしい」と伝えました。「バカなこと言うな。イタリア語ができないやつに2000ユーロも払えない」と言われたので、「じゃあ1週間タダ働きするから、それを見て考えてくれないか」と交渉しました。1週間誰よりも働いて、ピエロさんという意地悪なおじいちゃんオーナーに「いいよ」と言ってもらいました。そこで8ヶ月働きましたね。

——イタリアには、どのぐらいの期間いたんですか?

坂井:1年ちょっとですね。ちょうどシエナに滞在していたとき、同じ部屋で年齢も近く、なんとなく実力も同じぐらいだった溝口くんという人がいたんです。彼とは仲良くなったので、「ラ・タベルナ」に勤める前後に1ヶ月ぐらいずつ、イタリアやスペインなどを一緒に回ってきました。ちなみに彼はいま、新保吉伸さんが滋賀でやっている精肉店「サカエヤ」のレストラン「セジール」でシェフをやっています。

 

生産者の顔が見える料理を、ナチュラルワインとともに。

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——帰国してから「igora」を出店する間では、どんなことをしていたのですか?

坂井:独立準備をしながら、店を出す前に少し勉強もしようと思って、以前からよく通わせてもらっていた三軒茶屋の「ブリッカ」を手伝ったり、青山の「エトゥルスキ」で働かせてもらったりしました。

渋谷桜ヶ丘の「高太郎」さんや焼き鳥「とり茶太郎」さんにも応援していただいて、2019年7月に今の場所でグランドオープンしました。

——こんなお店にしたい、というコンセプトは最初から決めていましたか?

坂井:日本の食材を使ってイタリアの調理法で作るぼくの料理を、ナチュラルワインと一緒に味わってもらえるお店。カウンターをメインにして、コースのみでやるお店……ということは何となく考えていましたね。そして、ワインに携わっている人や、生産者の顔が見える料理を出したいなと思っていました。一時期はアラカルト料理も出していたのですが、最近はコースのみにしているので、今の状態は、だいたい当初考えていたイメージに近いですね。

——コースの価格設定がリーズナブルなほうだと思うのですが?

坂井:確かに、原価の掛け方や値段の設定については、きちんとした利益が出るのかを考えるとアウトな感じかもしれません(笑)。でも、誰にも迷惑はかけていないですし、みんなが幸せで、ぼくも幸せになれるんだったらいいんじゃないかなと。ぼくはそんなに器用じゃないので、お店を大きくすることも考えていません。もともとそこにベクトルも向いていないので……(笑)。

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手打ちのパッパルデッレを使用した、サンマと枝豆と焼きナスのパスタ。青柚子が香る爽やかな一品。

——こちらのお店で強く感じるのが、坂井さんのセンスです。お料理の色合い、お店のインテリア、食器の選び方や空気感。味のおいしさだけではない美的感覚と言いますか……。

坂井:自分ではあまり意識していないのですが、昔から器を見るのは好きでしたね。とくに、形は洋だけど色合いや質感は和のものが好きで。このプレートは川口武亮さんという作家さんのものなのですが、よく通っていた東浦和のギャラリーでたまたまご本人とお会いできたんです。店をオープンする前に直接お話しをして、料理の皿を乗せるショープレートを、すべて違う仕立てで造ってほしいとオーダーさせていただきました。

——カウンターにも、和の雰囲気が漂っていますよね。

坂井:この大きなまな板があるからかもしれませんね。これは、今年77歳になる包丁研ぎ職人の坂下勝美さんが開店祝いで贈ってくださったものなんです。イチョウの木のもので、厚さは10cmぐらい。お寿司屋さんが使うようなまな板ですね。ぼくも、まさかここまで大きいとは……とびっくりしました(笑)。

この刺身包丁も、坂下勝美さんのものを使っているのですが、本当にすばらしいです。細く切れるし、断面を美しく見せてくれるんです。断面で、肉や魚の舌触りも違いますからね。


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では、最後に…。
坂井さんにとって、 「おいしい」とは何でしょうか―—?

おいしんぐ!編集部

坂井:まず第一に、感覚的・味覚的なおいしさが、絶対条件だと思っています。それに付随して、空間、音楽、空調、そこにいる人たち。それから食材や生産者、ワインを作っている人……そのすべてが「おいしさ」にとって大事だと思います。

どんなに背景が素晴らしく、生産者がこだわりをもってやっていても、味がおいしくなければ意味がないと思うんです。そういう観点で食材を選んでいますし、お金をいただいて提供する以上、おいしいを届けるのは当前だと思っています。

——素晴らしいお考えだと思います。

坂井:味付けもおのずと、塩気が少し弱くなっていると思います。もちろん塩が決まっていないということではありませんが。ぼくが目指しているのは、食べれば食べるほど、お腹がすくぐらいの食べ心地なんです。

食べ物として不自然なものや肥育したもの、たとえばサシが入った和牛や、人間の都合だけで作ったフォワグラなどは、ぼく自身が食べないし、扱いません。やっぱり身体に不可がかかるようなものだし、どんなに味がおいしくても、どんぶり一杯食べられるかというと、そうじゃありませんよね。

おいしんぐ!編集部

——その通りですね。

坂井:ワインも同じで、まずは飲んでおいしいことが大前提。ナチュラル独特の臭さがあったり、すごく酸っぱかったり、豆臭いものはダメです。つっかかりなくスッと身体に入ってきて、なじんでくれるようなワインがぼくは好きですね。

食べ心地、飲み心地がよくて、元気になれる料理やワインがいいですね。食べ終わった後、おなかも満たされて充電はされたけど、ぜんぜん苦しくないし、次の日にがんばれる……そういう状態の身体を作ることが大事だと思っています。

おいしんぐ!編集部

企画・構成/金沢大基 文/古俣千尋 写真/倉橋マキ

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