岩瀬で素敵なガラス器との出会い。

富山の「おいしい」を彩る、 美しきガラス作品の世界。「Taizo Glass Studio」安田泰三さん

北陸
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おいしんぐ!編集部

かつて北前船の廻船問屋が何軒も建ち、江戸時代から明治時代にかけて大いに栄えたという富山県・東岩瀬。町のメインストリートには、当時の美しい木造家屋の外観はそのままに、現代の技術で再生された民家や店舗などが並んでいる。南北に500mほど伸びる通りの真ん中辺り、国の重要文化財に指定されている「北前船廻船問屋 森家」の隣りに、「Taizo Glass Gallery」という1軒のギャラリーがある。

繊細なレース編み模様がほどこされた、ガラスの器。何層にも色を重ねたガラスの盃。ギャラリー内にはシンプルなものから奇抜なものまで、さまざまなデザインのガラス作品が並べられている。日常使いできる器やグラスをはじめ、ホテルや会社から依頼を受けて制作するオブジェや花瓶などの大きな作品も。富山の山奥、利賀村から新しい料理を発信する話題のレストラン「レヴォ」でもここの器が使われており、個性あふれる料理に彩りを添えている。

この緻密で美しいガラス作品を作っているのが、ガラス作家・安田泰三さんだ。神戸で生まれ、高校卒業とともに富山へ移り「富山ガラス造形研究所」に第1期生として入学、ガラスの勉強を始めた。その後富山市の「富山ガラス工房」で経験を積み、1997年に独立。富山の銘酒「満寿泉」蔵元・桝田隆一郎さんとの出会いから、2005年からは岩瀬の町に工房と自宅を移した。現在もここで作品作りや全国での個展開催に力を注いでいる。

「富山ガラス造形研究所」「富山ガラス工房」「富山市ガラス美術館」などガラスの街づくりに力を入れている富山県。300年以上前から富山の薬売り文化が栄えたため、明治・大正時代にガラスの薬瓶の製造が盛んとなり、ガラス職人も多く存在していたという。安田さんはそんな富山のガラス文化を盛り上げ、次世代に技術を引き継いでいくひとりでもあるのだ。

今回は料理や食材ではなく「おいしい」に関わる器作りについてのインタビューを…ということで安田さんに話を伺った。ギャラリーのほか、ガラス工房にもお邪魔して制作風景も見せていただいた。富山を訪れた際には、ぜひ岩瀬で素敵なガラス器と出会ってほしい。

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築140年の家屋を改装して自宅兼ギャラリー「Taizo Glass Gallery」。
お皿やグラス、盃や箸置きなどさまざまな作品が並ぶ。

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緻密で繊細なガラスの器

おいしんぐ!編集部
誰も真似できないような高度な技術を要する作品を生み出している安田さん。全国の百貨店などでも個展を開催している。


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——レトロな日本家屋の店内に、色鮮やかなガラスがとても映えますね。どれも美しい色彩でうっとりします。この色はどのようにつけていくんですか?

安田:金属が溶けてガラスの中に色として浸透していくんです。簡単に言えば、鉄の粉末を1400度のガラスの中に入れると緑になります。鉄なら緑だし、純金はピンク、酸化マンガンは紫色です。


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細く美しい白線が等間隔で編み込まれるように入っている、レース編みのシリーズ。安田さんの緻密さと繊細さ、そして長年に渡り培ってきた技術と経験がうかがえる。

——こちらのレース編みの柄は、どのように作っているのでしょうか?

安田:白いガラスの線をまずは細く細く引き延ばしていきます。それを30本ほど作って、今度は透明のガラスの側面にくっつけます。それをねじりながら模様を作っています。1種類のレース棒を作るために、はじめは10mぐらいに引き延ばすのでなかなか大変なんですよ。

——よほど綿密に設計図を作っておかないと、こんなに細かい模様は作れませんよね。

安田:はい。設計、色、デザインはすべて決めてから作っています。材料はあとから足せませんので、準備して一気にやります。ガラスは温度が下がらないうちに形成しなければなりませんから、手早い作業が求められますが、それができるようになるまで10年とか20年ぐらいかかりました。


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——こうして作品を拝見していると、どれも緻密で繊細で、作られるまでの長い時間を感じますね。

安田:例えばそこにある青い格子のガラスで言うと、先に線を格子状に組んでから、それぞれの格子の間に気泡が1つずつ入るように作っています。隣りの丸い方もそうですね。これは赤の層、黄色の層、格子の層という構造なので、さらに複雑なんですが。


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——格子の間のひとつひとつに気泡を…!? 途方もない作業ですね。とても高い技術が必要なのでしょうね。

安田:人がなかなかできないようなもの、難しい技術を必要とするものを一生懸命考えて、できるように練習する。できたものを見て、そういう部分に気づいてくださるお客様がいらっしゃるのですが、そのときはやっぱり嬉しいです。

——新作は毎年出しているのですか?

安田:毎年開いている個展に合わせて新たに作ったりしますし、依頼をくださる個人のお客さまや会社などからのオーダーもありますね。たとえばホテルのロビーに置きたいから海のイメージで作ってほしいとか。「こんなものできないか?」とお願いされて、自分では考えてもみなかった色の組み合わせで作ってみる、ということもあります。


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——デザインは普段どのように思いつくのでしょう?

安田:実験をたくさんするんです。何度も何度も練習して完成させる、という感じなので、パッと思いついたものが一発でできあがることはほとんどないです。

やっぱり、うまくいかないことのほうが多いですよ。金属はすべて融点が違うので、出したい色によって溶かす温度も変わります。単色だったら簡単だけど、複数の色を組み合わせることによって思うようにいかないこともあって。料理人の方が新しいメニューを考えるときに何度も試して完成させていくのと同じような感じかもしれません。とにかく、練習が大事です。

——「レヴォ」で、安田さんのカラフルな盃がカウンター席に並んでいるのを拝見しました。

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安田:あの盃は、ぼくがもともと作っていたシリーズだったのですが、実は6層構造の重ねガラスなんですね。6層に重ねて作るということは、先ほどのレース編みと同様、1色作るためだけでも、かなりの大きさを作らなければなりません。巨大なガラスを作って、引き延ばして餅を切るような感じで20個に分割して、ようやく1色ができる。でも谷口シェフはそれを「12色ほしい」と。

——12個作るためには「×20」として、盃240個を作るほどの作業ということですね。

安田:それも、けっこうタイトな時間での依頼でしたから。なかなか大変でしたよ(笑)。


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「レヴォ」でも使われている、美しい色合いが楽しめる6層構造の盃。

——そうだったのですね。ですがそのぶん、お店で見る盃は存在感を放っていましたし、そこでいただく富山のお酒はひと際おいしいのだろうなと思いました。安田さんも「レヴォ」には行かれましたか?

安田:昨年秋のオープンの日に行きました。豪雪で大変でしたよ。

——安田さんが作った器に盛りつけがなされているのをご覧になって、いかがでしたか?

安田:意外でしたね。「ああ、シェフはこういう盛りつけをしたかったのか!」って。ぼくの作るイメージとはまたひと味もふた味も違って、とても新鮮でした。

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ギリギリのラインをくぐり抜け続けて

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——もともとガラスに興味を持ったのは何歳頃だったのですか?

安田:ぼくは高校を出てすぐにガラスの学校(富山ガラス造形研究所)に入ったんです。ちょうど高校3年生のとき、富山で初めての公立のガラスの学校ができるということを新聞で知りまして。まったく経験がなかったんですけど、行ってみようかなと。


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自宅兼ギャラリーから徒歩1分以内の「森家土蔵群」にある「Taizo Glass Studio」。左利きの安田さんが作業をしやすいよう、作業台などの造りや導線はすべて左利き用になっている。

——ガラスの、どこに惹かれたのでしょうか?

安田:そのときは全然ガラスのことを知りませんでした。ものづくりに興味があったので、ガラスの学校が無理だったら、多治見の陶芸の学校でもいいかな…みたいな感じでした。特に美術の勉強をしていたわけでもなかったので、試験に受かるとも思っていなくて。たしか試験はデッサンと立体構成だったかな。一応受験してみたら、意外なことに受かってしまって(笑)。


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——そうだったのですね! 安田さんは神戸のお生まれですよね。高校卒業とともに富山へ来たのですか?

安田:そうなんです。もうあれから30年ですから、富山のほうが長いですよ。

——学校に入学してからは、いかがでしたか?

安田:4月から入学なのに、最初は雪で建設が遅れたとかで、まだ学校ができていなかったんですよ。6月までは中学校の美術室を借りてデッサンだけやっていました。専門学校なので、平均年齢は28歳ぐらい。もともとプロでやっていた人やデザイナーだった人も多くて、「ここで2年間勉強してプロになる」という気で来ているんです。だからみんなは「デッサンをしに来たわけじゃないんだ!」って、怒っていましたね(笑)。

高校卒業後に入ったのはぼく一人でした。学校に入ってからも、これでプロになれるとは思いもしませんでしたね。ガラスで食べていくには設備もいるし販路もいるし、なんせ先輩のいない1期生ですから、就職のイメージもできなくて。

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——でも、学校ですからいずれは卒業になりますよね。

安田:はい。優秀な人はガラスデザイナーや大学の助手などに決まっていくのですが、ぼくはなかなか就職先が決まりませんでした。学校は造形科の2年制なのですが、さらに2年間の研究科があって、そこには1学年15人のうち4人しか進むことができないんですね。とりあえず「研究科に入れなかったらガラスはやめよう」と思って希望したら、なんとか入れたんです。

——狭き門を突破されたのですね。その先はどうされたのですか?

安田:研究科で2年勉強した後は、富山市がやっている「富山ガラス工房」に入りました。3年間プロとしてお給料をいただきながら働き、独立までの勉強ができる機関なんです。年間2人だけ採用するということだったので「この工房に入れなかったらもうやめよう」と思って…。


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——さらに狭き門を…! 毎回くぐり抜けていらっしゃいますね。

安田:毎回ギリギリです(笑)。しかも、そこに入るには「3年後に必ず独立します」という誓約書を書かなければならないんですね。独立といっても、けっこう大変なんですよ。ガラス工房を持つということは、建物の設備にも地面の工事にも何千万とかかりますから。とりあえず書いたは書いたけれど、3年後に独立できなかったらやめるしかないなと。

ですが、なんとか3年のうちに少し実績がついて、銀行に推薦状を書いてもらえて借金ができるようになって、独立できたんです。本当にギリギリのところを来ていますよね。


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「満寿泉」桝田さんとの出会い

おいしんぐ!編集部

——岩瀬の町にいらしたのは、どのような経緯だったのでしょう?

安田:独立してから8年間は学校の近くで工房を構えていました。独立して7年目ぐらいの年に「満寿泉」の桝田さんとお会いしまして。

——「桝田酒造店」の5代目で、岩瀬の町を現在のように再生された桝田隆一郎さんですね。我々もインタビューで街作りや酒造りのお話を聞かせていただきました。

安田:当時、桝田さんは「森家土蔵群」の大きな蔵を買い取って改修工事をしておられたんです。まだ、「田尻商店」さんという酒屋さんが入ること以外は決まっていなくて、入る人を探していたようでした。

富山市がガラスに力を入れているし、ガラス工房を持ちたくても持てない人もたくさんいるはずだから、誰か入りたい人はいませんかということを市長に話したらしいんですね。それで市長から学校の教授に話がいって。


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——岩瀬でガラス工房を持ちたい方を、探していたのですね。

安田:学校から勧められて3人ぐらいは話を聞きに来たらしいんですけど、あの蔵の敷地はガラス工房にはちょっと広めなんですよ。家賃がけっこう高いし、誰も払えませんということで…。それで教授からぼくが呼び出されました。「君は払えるだろうから、君が行きなさい。いまの場所は後輩に譲りなさい」と。

それでぼくが、桝田さんとお会いすることになったんです。そのとき使っていた窯の借金も返し終えていないし、展覧会もあるから製作も立て込んでいるし、最初は「ぼくは無理ですよ」って話していたんですけど「じゃあ来年はどうですか」って…。

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——これまでお世話になってきた学校からそのように言われてしまうと、断りづらいですよね(笑)。

安田:もうひとつの理由は、この家ですね。ここは1階をギャラリーにしていて、2階を
自宅にしているんですが。

——天井も高くてスペースも広く、とても素敵です。ガラス工房からも徒歩1分ぐらいで近いからいいですね。

安田:ガラスの窯って24時間1年中、1200度で火を焚いていなければならないんです。もし火が消えたら窯が壊れてしまう。故障したら大変だから、自分の家が工房の近くにないとすごく心配なんですね。ぼくはそれまで借家に住みながら、工房の近所でどこかいい家がないかなとずっと思っていたんです。

そうしたら、この家がちょうど空いているということで、桝田さんが「この家どう? 工房も近いし、ここも買ったら?」と。すぐ隣りが北陸銀行なので、その場で支店長が来てローンの計算が始まって…。「アパートを借りるのと変わらないよ」「あ、じゃあ買います」。そんな感じでした(笑)。

まだ改装前で照明もなにもなくて、妻や子どもは「お化け屋敷みたいで怖い!」と言っていたのですが、古いわりに家の状態はよかったので、ここならいいかなと。

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——岩瀬の町へ来て、ご自身の中で変化したことはありますか?

安田:桝田さんと出会ったことで、ぼくの考えが大きく変わったかもしれません。お酒を作る方が考える盃や、料理を作る方が考える器って、ぼくらと発想の仕方がまた違うんですよね。それを飲みながらお話したりして、ぼくの作品だったり考え方にも変化があったと思います。

それまで料理人さんとのお付き合いもなかったですし、お酒もそれほど飲むほうじゃなかったんですけど。料理人さんたちだけでなく、ここには同世代の鍛冶屋や彫刻家や漆作家もいるので、近所のお店や庭とかで集まって食べたり飲んだりして、いろんな話をしますね。


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——それは素敵ですね。

安田:たとえば器でいうと、自分がいいと思ったものを作れて、それがどんなに難しくて他にはないものだったとしても、もっと簡単な作りのもののほうが使いやすいということもありますよね。ひねって考えて難しいことをやっても、別にそういうのは求められていない、ということもあります。そういう意味でも、いろんな人と話して意見を聞けるのはありがたいです。

桝田さんも普段は優しいけれど、見る目は厳しいです。もの作りをしている人にも、料理人に対しても。でも、ぼくらはお客さんから褒めていただくことはあっても、厳しく言ってもらえることはほぼないので、率直な意見を言ってもらえるのは大切だと思っています。

——今後はどのような展開を考えておられますか?

安田:これからもこの町にいろいろとお店が増えていくようなので、それはすごく楽しみですね。料理人の方も来られますし、お客さんもさまざまなジャンルの方が来られますから、ぼくらもいろんな刺激をもらえると思うんです。自分の仕事に関しては、毎回「次の新作は…?」と追われながら作っている感じなので、引き続きがんばって、なんとか絞り出していきたいですね。

 

では、最後に…。
安田さんにとって「おいしい」とは——?

おいしんぐ!編集部

安田:基本的にはぼく、なんでもおいしいと思うんですよね(笑)。特にここへ来てからは食に興味がある人と関わっているので、まずいと思うようなものがないです。何を飲んでも何を食べても、おいしいものが集まっていますから。

——おいしいを作るのは料理人だけでなく、安田さんたちのような作家さんの力も大きいと思います。

安田:極端をいうと、料理人さんやお客さんの中には100円均一のお皿で出しても味は変わらない、という方もおられると思うんです。だからこそ、ぼくらみたいにすごく狭い範囲でこだわりを持ってやっていることをわかっていただけると、嬉しいですね。

企画・構成/金沢大基 文/古俣千尋 写真/曽我 美芽



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