人となりは、商品こそが物語る

世界の食通が集まる町を作りたい――「満寿泉」の蔵元と岩瀬の仲間たち。「桝田酒蔵店」5代目・桝田隆一郎さん

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世界の食通が集まる町を作りたい――「満寿泉」の蔵元と岩瀬の仲間たち。「桝田酒蔵店」5代目・桝田隆一郎さん

おいしんぐ!編集部

富山駅から車で北へ約10分。数々の海の幸をもたらす富山港近くに、岩瀬という町がある。ここは江戸時代から北前船の交易で栄えた港町で、旧北国街道に面したメインストリート「岩瀬大町・新川町通り」には、北前廻船問屋「森家」(国指定重要文化財)をはじめ、明治の面影を残す建物がずらりと建ち並んでいる。

通りを歩いて、あっと驚く。単に昔ながらの建物や街並をそのまま残しているのとはわけが違うからだ。地面は歩きやすく平坦に整えられ、電柱や電線はない。そして旧き良き時代の趣きを見せる建物一軒一軒が、現代の技術によって銀行や商店、工房やギャラリー、日本料理屋にレストラン、ブリュワリー…と、さまざまな形態に再生されているのだ。

このわずか500mほどの通りに、レベルの高い割烹や寿司屋、イタリアンやフレンチ、日本酒造店、器作家、鍛冶屋、ガラス工房などが集まっているという。「いま、岩瀬がおもしろい」――そんな噂がじわじわと広がり、国内外の食通たちがこぞってこの町を訪れるのもうなずける。

岩瀬の町を美しく再生した仕掛人が、富山を代表する吟醸酒「満寿泉」の蔵元であり、明治26年創業の「桝田酒造店」5代目当主、桝田隆一郎さん。周囲から尊敬され、自分自身が誇りに思える仕事を――それだけを大事に「満寿泉」をはじめとする日本酒造りだけでなく、世界への進出や酒のジャンルを超えたコラボレーション、そして誰も見たことのないような新しい酒作りに力を入れている。

富山の小さな港町が、いまなぜこれほどまでに魅力を放っているのか。岩瀬の蔵で作る日本酒を通して、どんなことを発信しているのか。歴史ある土蔵を改築して造ったという「満寿泉」の酒蔵や貯蔵庫を見せていただきながら、桝田さんにじっくりと話を聞いた。

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「満寿泉」をはじめとした桝田酒造店の名酒が作られる酒蔵。酒造りは毎年10月中旬の大安日に始まり、春まで休みなく続く。

岩瀬のワンストップ相談所

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白シャツにジーンズ、足元には下駄を履いて颯爽と町を歩く、「桝田酒造店」五代目の桝田隆一郎さん。

——岩瀬の町並みが本当に美しく、またさまざまな個性を持つお店が集まっていることに驚きました。

桝田:彫刻家、ガラス作家、焼き物屋に鍛冶屋…と、もともと住んでいた人に加えて、若い人たちが集まってきたんですよ。飲食店もフレンチの「カーヴ ユノキ」から、割烹の「御料理 ふじ居」、イタリアンの「ピアット スズキ チンクエ」、ブリュワリーの「Kobo Brew Pub」、寿司の「GEJO」というふうに、少しず増えてきたんです。


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岩瀬の町のメインストリート、岩瀬大町・新川町通り。江戸から明治にかけて栄えた廻船問屋や日本家屋の美しい面影を今に残している。

——なぜ、これほどまでにおもしろいお店や人が集まるのでしょうか?

桝田:ぼくは何も仕掛けていないですし、誰も誘ってはいないんです。ただなんとなく、一緒に飲んで盛り上がっているときに「おれも行こうかな」「おいでよ!」みたいなノリですかね。一人が来たら「あいつが行ったならおれも…」みたいに芋づる式で(笑)。

スタートは蕎麦屋さんでした。「蕎麦屋は知的好奇心の高い人たちが集うところだから。いいものを作ったね」と言われたことがあるのですが、たしかに最初が蕎麦屋というのもよかったかもしれません。いろんな飲食店が岩瀬に来てくれるきっかけになりました。今年はさらに2軒、富山県内のお店が来る予定になっています。さらに加速すると思いますよ。

——さらに増えるのですか、楽しみですね!

桝田:ぼくらの目は世界を向いていますし、世界のフーディが集まるような町を作ろうとしています。物作りのみんなにも、飲食のみんなにもよく言っているんです。「君たちのライバルは、長浜や小樽のガラス工房とか、東京の寿司屋やフレンチの店じゃない。エルメスやロロ・ピアーナ、エチェバリなんだからね」と。

例えばガラス作家をやっている安田泰三くんには「ガラスの歴史が2000年あるのだから、2000年のなかで安田泰三をどうやって残すかを考えようよ」と話します。そういうかたちでみんなで仕事をしていますが、とてもいい感じですよ。


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——桝田さんからは誘っていないとはいえ、やはりこの町に桝田さんがいるということが、みなさんにとって大きいのでしょうね。

桝田:いやいや…まあ、ここは言わばワンストップ相談所なんですよ(笑)。ぼくは基本的に、人に会わずにひとりでいたいほうなんですけど、毎日昼から夜まで人が相談に来て、スケジュールが埋まってしまうんです。それはぼくも会いたい人たちなので、楽しくてつい延々と話してしまいますね。

——それにしても、この美しい町並みの再生は、とてつもなく大きなプロジェクトですよね。

桝田:基本的には、この辺りの空き家を買ってきれいに改装して、お店や工房をやりたい人たちに販売しているかたちです。もちろん扱うのは空き家のみで、人が住んでいる家は購入の対象にはしません。いま、日本中の古い町が空き家だらけなんですよ。家の所有者はみんな東京や大阪に住んでいて、100年以上の家を誰も売ろうとしません。家の中に物がたくさんあるのも面倒なのでしょうね。

ですが、我々は酒造として100年以上この町でみんなと一緒に生活していて、家や店を再生している例も見てもらえているので、我々にだったら売ってもいいという方が多いのです。


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——信頼関係が築けているのですね。

桝田:ええ。それはわたくし個人の信頼関係ではなく、父や祖父、桝田の家の信頼関係があるからだと思っています。

——町の再生にあたって、意識されていることはありますか?

桝田:ないですよ。ただ、「続ける」というのは、やっぱり一番大きな仕事だと感じています。空き家を買うと、だいたい中に神棚や仏壇が残っているんです。お父さんの叙勲の賞状とか家族のアルバムなども残っています。「これ、どうしますか?」って聞くと、「東京のマンションには置く場所がないので処分してください」と、だいたいこうです。「あ、家がなくなるってこういうことか」としみじみ思いますね。

もしもぼくが家の再生を失敗すれば、神棚や仏壇も全部ゴミになってしまいます。どれだけ頑張っても、その家を新しく継いだ人が失敗してしまえばゼロになることもあるでしょうし…それはちょっと寂しいなと思うんです。ですから、いい後継者を見つけ、育てるのがぼくの一番の仕事だと思ってやっています。うまくいくことばかりではないですけれどね。

 

まずは「自分と自分の周り」から

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——岩瀬の町を盛り上げる活動は、どんなきっかけで始められたのですか?

桝田:いろんな体験がありますが、10年前、中学の同窓会で友達に言われたんです。「中学のときから町をきれいにしたいって言ってたよね」って。そんな記憶はゼロだったんですが、言われてみれば中学のとき、本阿弥光悦が作った光悦村のことを本で読んだのは覚えているんです。光悦が京都でアーティストを集めて光悦村を作り、そこから光琳・光悦の文化が花開いたと。それが深層心理にはあったのかもしれません。

——無意識とはいえ、中学の頃からの理想だったのですね。

桝田:直接的なところでは、ヨーロッパ留学から日本に戻ったとき、日本があまりにもボロく感じてしまった。それが一番のトリガーですね。さらに、妻が西宮という住環境の素晴らしいところから来てくれていることもあります。「こんなところに嫁に来たのか」と思われるのが嫌だから、きれいにしようと(笑)。

——ヨーロッパを見てきた経験は、桝田さんにとって大きいのでしょうか?

桝田:大きいですね。旅行で1~2週間滞在するのではなく、しばらく住んでいたからこそ、ヨーロッパ人の目で日本を見られるようになりました。町の景観や人の顔つき、文化の違いなど、日本に足りないものもたくさん見えましたし。

いま、世界の中でどんどん日本が相対的に弱くなってきて、悲しいかな、とくにヨーロッパでは日本について興味を持つ人もほとんどいなくなってきています。でも、やっぱりもう一度振り向かせたいという思いがあります。そうしないと日本酒が世界に出られないので。

だから誰のためでもなく、わたくしのために、日本酒を世界に進出させたいと思ってやっています。岩瀬を誇れる町にしたいというのも同じで、自分のためなんです。


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岩瀬大町・新川町通り沿いにある「沙石」。もともと廻船問屋だった場所をリノベーションし、2019年8月にオープンした。「満寿泉」をはじめとする桝田酒造店の酒を購入できるほか、30分2000円で唎酒を楽しむことができる。


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「沙石」の内装には当時使用されていた欄間や、7.4mの檜の木のカウンター、樹齢150年の木などが設えられている。また、富山の作家たちのアート作品も飾られ、ミュージアムのような役割も果たしている。

——日本酒業界全体のために、ということではなく?

桝田:その思いはゼロです。ただしやるからには、ひとりでやっても波及はないからみんなを誘います。1996年から毎年、パリの日本文化会館でお酒のセミナーを毎年やっていますが、そのときは国内で同じベクトルを持っている蔵元を誘って一緒に行っています。

また、ぼくは富山県の酒蔵組合の会長をやっているんですが、富山県の造り酒屋をすべて2倍に成長させるというビジョンを掲げて、一緒に大きくなろうと頑張っています。全体で2倍ではなく、個々の蔵が全部2倍になるように動く。そうすればマーケットが大きくなるし、みんなハッピーです。…ですがまあ、こうして日本酒を盛り上げたいというのは、みんなのためではなくて、わたくしのためなんですよ。

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——結果、それがみんなのためになっている…というわけですね(笑)。以前、ある蔵元さんが「桝田さんは日本酒界のヒーローだ」とおっしゃっていました。

桝田:いやいや、ヒーローなどではないですよ。昔の人の名言で「利他の精神」とかありますが、ぼくにはきれいごとに聞こえるというか、「自分と家族がハッピーじゃないのに、なんで利他の精神でやらんとだめなん?」と思うんですよ。

「そうしなければならない」というのは、ぼくはあんまり好きじゃない。とにかく自分がやりたいことをやる。自分と、自分の家族と、自分の従業員たちがハッピーであること。そこがまず一番だと思っています。それをやるだけで、実はすごく大変なんですよね。

 

人となりは、商品こそが物語る

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——桝田さんが先ほどおっしゃった「ベクトル」についても教えてください。同じベクトルを向いた人というのは、どのようにしてわかるのですか?

桝田:感覚でしょうね。会合をしながら発言や商品を見ていたらわかるし、3時間も一緒に飲んで話していればなんとなくわかります。ものを食べたときにどう感じるかも大事です。口に入れた瞬間に「…わあ!」とか言うやつは、「こいつ、いいやつだ!」となるし、お酒を飲ませていいリアクションをしてくれると「いいやつだな。もっと飲んでもらおう!」と(笑)。

手土産ひとつでも「おお~」というもの、駅とか空港の売店にはない、ぼくらが食べたいものをわざわざ買って持って来てくれる人ですかね。それは豆腐でも枝豆でも、値段は安くてもいいんですよ。

建築家の隈研吾さんともそんな話をしましたね。「感動させられるものを食べさせてくれる人はいい人だよね」って。そこはひとつ、フィルターとしてあるかもしれないですね。


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——なるほど。食べるものとの接し方には人間性が出るかもしれません。

桝田:でも、最後はやっぱりプロダクトです。ぼくの若い時のガールフレンドで、いまは90歳になっている、とてもお世話になった方がいるんですけど、彼女が「やっぱり最後は商品よね」と言っていたんです。ぼくは当時20代で「やっぱり人柄だよね」ということを言われると思っていたから驚いて。

人柄ではなく商品だ、と。どんなにいいと思う人でも、つまらん商品を作っていたらそんな程度の人なのだ、と。ああそうか、と思いましたね。焼き物なんて特にそうでしょう。その人が全面に出ますよね。惚れ惚れする焼き物を作る人は、やっぱりぼくにとっていい人なんです。

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インタビュー中、「最後はプロダクトに出る」という話の流れで見せていただいた陶芸家・横山拓也さんの茶碗。触るとぽろぽろと崩れ、作りもいびつな作品で「まるでなっていない、という方もいるんです。でも、ぼくは大好きなんです。このお茶碗でお茶を自分が飲みたいか? 人にお茶を飲んでもらいたいか? ということが大事なんです。横山さんに実際にお会いしたら、やっぱりとてもいい人でした(笑)」

 

みんなから尊敬される蔵でありたい

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——今後「桝田酒蔵店」どういう蔵にしていきたいとお考えですか?

桝田:将来の満寿泉をどうしたいかについては、若い頃に父とよく話をしていました。いくらのお酒を何本売ったら、このぐらいの売上げになるから、こういうスタイルにしたいとか。ただ、そのときの前提といまの前提は違いますし、父が過ごしてきた前提とぼくの前提は違います。その中で共通しているのは、自分が誇りに思える仕事をしようということと、みんなから尊敬されるものを作るということ。これだけは変わらず、同じなんです。

正直、これからのことはわからないですよ。おもしろい話がぽんときて、いいかたちで大きくなれるときがあれば大きくなればいいし、逆にそうでなければ、蔵人の数も少なくして、小さい蔵にしてしまうというのもありだと思っています。ロマネコンティだって小さいけれど、世界に出ていますよね。いろいろとやり方はありますが、業界の中でちゃんと尊敬される蔵でありたいですね。


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150年ほど前から残る土蔵を使っているという貯蔵庫。扉には防火のシンボルである龍の彫刻が施されている。


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貯蔵庫の奥には、昭和50~60年代の「満寿泉」が。また「我々の敵を研究するために…」と、数々のワインも収められている。

——素敵なお言葉です。これからの展開が楽しみですね。

桝田:お酒なんて、吟醸酒が出て来たときにがらっと変わったわけですから、今後また大きく変わることがあるかもしれません。いまも新しいチャレンジをたくさんやっていますが、どれがどう開くかはわかりませんから。

いま、0%精米っていうのがあるんですよ。磨く割合が50%、35%、25%、23%、18%、8%、2%、1%と下がってきて、とうとう0%ができたんです。

——0%ですか!?

桝田:99.6%を磨くんです。0.04%にして四捨五入して0%(笑)。それをやっているのは宮城の「伯楽星」を作っているぼくが大好きなやつでね。津波で蔵も全部流されて、移転して、その中で頑張っているんです。あいつがやるんだったら大拍手なんですよね。そんな粉みたいなものを、どうやって蒸して浸漬して、麹を作るんだ?と思いますけど、そんな極端なことをやろうとするのも大事。それに対抗して、ぼくは120%をやろうかと。

——120%…!?

桝田:玄米が100でしょ。だから籾殻も入れて120%(笑)。籾殻も入れて、それを破砕して作るんです。

——発想が斬新です!

桝田:でも実は、お酒の世界ではそれが普通なんですよ。ビールやウイスキー作りでも、麦は籾殻ごと使うわけですから。ワインのブドウも皮からでしょう。岩瀬にビール工場を造って、そこで籾殻つきの破砕を見たときに「ああ、これだよな」って思いついたんです。

ただし籾殻の周りは雑菌が多いので、蔵の中がかなり汚染されてしまい、その後作ったお酒がすっぱくなりました。失敗もしましたが、やってみておもしろかった。


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平成4年以降に作られた「満寿泉」が保管されている貯蔵庫。内部は岩瀬の鍛冶屋「アイアンチョップ」による装飾金物が用いられた、モダンなデザイン。

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——おもしろい試みですね。

桝田:いま、焼酎メーカーの革新がすばらしいんです。例えば自社の畑で芋、麦、米を作っていたり、芋も掘ってから3時間以内に蒸して仕込みが終わるような作り方をしていたり。だからぼくも、朝刈り取った玄米で作ろうかなと(笑)。結局、米も酸化するとぬか臭につながるので、フレッシュなものでやってみるのはおもしろいと思うんですよ。

ぼくら日本酒業界はまだまだ、米の原料としての特性を使い切っていないし、突き詰めていないなと思うんです。結局、日本酒って米のキャラクターをほとんど磨いて捨てている。そうじゃないところで何かできないか? と考えていけば、いろいろゲームチェンジができるかもしれません。

——杜氏のかたも、いろいろなチャレンジができて楽しいでしょうね。

桝田:いや、大変でしょう(笑)。仕事は毎日違うし、ワイン酵母でも8種類ぐらいを使いますし。「いままでの作りではだめだ」なんてしょっちゅう言っています。いろいろと大変ですが、一緒になって共感してもらうようにはしているので、なんとかなっているんじゃないですかね。

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ドンペリニヨン5代目醸造最高責任者を務めたリシャール・ジェフロワ氏が、引退後に手がけた日本酒「IWA5」。デザイナーのマーク・ニューソン氏、日本を代表する建築家・隈研吾氏とともに、桝田さんがコラボレーターとして参加している。

 

利賀村のレストラン「レヴォ」の破壊力

おいしんぐ!編集部

——桝田さんは昔から、目標やビジョンを決めて進まれるタイプでしたか?

桝田:いえ、行き当たりばったりです。というか、決めるゆとりがないかもしれません。毎日毎日、その日をこなすので精一杯ですから。朝から晩まで、食べたいものもあるし、会いたい人もいるし。

昨年末、利賀村に「レヴォ」がオープンしてからは、岩瀬にもさらに日本中のフーディが集まってくるようになりましたよ。みんな「レヴォ」の前後でワイナリーの「セーズファーム」「ふじ居」「ユノキ」「GEJO」「チンクエ」というルートを訪れるんです。

——「レヴォ」の谷口シェフも取材をさせていただきました。あの場所であの料理を作るというのは、日本中のレストランに影響を与えますよね。

桝田:「レヴォ」の破壊力と、富山に対する貢献はすさまじいですよ。器から何から、全部富山のものを使っているでしょう。だからあそこで感動した人たちが、店で見た釋永岳くんの陶芸を買いに行ったり、下尾さん(Shimoo Design)の木の器を見に行ったりするんです。

春になって、彼らはこれから山の中で山菜とともに生活をするわけです。朝起きて、家のまわりの山菜を採り、それをその日の料理に使う。仕入れたものではないからふんだんに使えるし、「え、そんな使い方するの?」っていうこともできるはず。今後、どう料理が変わっていくのか楽しみですね。

 

では、最後に…。
桝田さんにとって「おいしい」とは——?

おいしんぐ!編集部

桝田:みんなが食べた瞬間に「!」という顔になるようなもの。口に入れた瞬間に思わず「おいしい!」って声が出るもの。それが「おいしい」なんだと思います。ぼくは毎日、ずっとおいしいですよ。朝ご飯の味噌汁から、お茶の一服から…。これは、自分で意識していることもあるんです。

食事をするときは毎回、ただ漠然と食べるんじゃなくて、ひと口ひと口ちゃんと味わって考えるようにしています。ワインのテイスティングだってそうですよね。自分が感じようとしなければ、何も感じないわけです。だから何かを食べるときも、どこかへ行くときも、感受性を落とさずになるべく感じるように、感じるように…というのは心がけています。

——おいしいと感じる、自分の心の持ちようも大切ですね。

桝田:おいしいものって、山ほどありますよね。昨日は「ふじ居」で、朝獲れの3kgの海マスと、トラフグの白子を刺身で食べました。朝取れ山菜天ぷらや朝取れ菜花のおひたしなど100円くらいの原価のものにも感動しました。一昨日は「GEJO」で、フグの白子におぼろ昆布をぶわーっと巻いて出してくれたのがおいしかった。3日前は「チンクエ」で食べた冷製カルボナーラ。手打ちの細かい縮れ麺に、カリカリのパンチェッタがかかっていて…おいしかったなあ!!

——聞いているだけでおいしさが伝わってきます。おいしいって、人に語れることなんですね。

桝田:こうやって記憶に残っていて人に語れるおいしいものが、この1週間だけでもものすごくありますよ。今日はこれから友人と寿司屋を2軒ハシゴしてきます(笑)。

企画・構成/金沢大基 文/古俣千尋 写真/曽我 美芽


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