国内2%、世界の1%を目指して――

木桶仕込みの醤油を孫の代にも残したい。「ヤマロク醤油」5代目・山本康夫さん

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木桶仕込みの醤油を孫の代にも残したい。「ヤマロク醤油」5代目・山本康夫さん

おいしんぐ!編集部

香川県小豆島の草壁港近く、国道436号線から北に向かって細道に入ると、寒霞渓をバックに閑静な住宅街が続いている。日本情緒を残した家々の先に、「ヤマロク醤油」がひっそりと居を構えている。蔵に入るや香ってきたのは、なんとも言えない発酵物の芳醇な香り。

ヤマロク醤油・五代目として醤油造りに勤しむ、山本康夫さん。迷ったときは「面白いか、面白くないかで決める」という山本さんが、醤油造りをしながら取り組んでいるのが桶屋。その背景には、醤油だけでなく、木桶で造る日本固有の“本物の”調味料が失われつつある…そんな切羽詰まった問題があった。

途絶える寸前の“桶屋”に弟子入りし、木桶作りを学び、「木桶職人復活プロジェクト」の発起人として、地方で踏ん張る同業者の醤油屋たちにこう声をかけた。「一緒に木桶を作りませんか」「国内シェアを2%に、そして世界の1%を取りにいきましょう」。

おいしいと思える本物の醤油を、この先もきっと残すために。

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“品評会で賞が取れない醤油”を目指す

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「ヤマロク醤油」5代目・山本康夫さん

——蔵の中が木桶でいっぱいですね

山本:ここの蔵は築およそ150年。中にあるのはすべて現役で使っている桶です。木桶はここに31本、この奥に21本、またこの奥にある蔵に13本、手前の蔵に15本で、合計80本。それらが大体3年でひと回転していますね。使い始めてから、蔵と同じく150年程経った木桶もあります。

——木桶にこだわっていらっしゃるんですね。

山本:木桶を一番使っているのは醤油屋なのですが、醤油業界内でみると実はその数字は1%を切っています。しかもそのうち1/3は小豆島という割合。木桶を使わず工業的に造ると、タンクを上に伸ばせるし温度管理もしやすくて、平均70点の醤油が造れる。それが木桶だと、80点や90点のものも、50点や60点のものも造れるんです。海外ではワインやウイスキー、バーボンは木の樽で熟成させたものが良質で、タンクで造ったものは一般の普及品とされますよね。それと同じで、醤油も桶で造ると味や香りが複雑になります。同じ総含有量でも、旨みも変わってくる。実際旨みの素であるグルタミン酸の生成が、木桶製の醤油は多いという研究結果もあるんです。


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見学させてもらった蔵は、創業当時はなく、3番目に建てられたもの。この日の小豆島は日中汗ばむほどの暖かさだったが、空調設備のない蔵の中は不思議と涼しかった。蔵内の温度は計ったことがないそうで、気温も湿度も完全に自然任せ。この環境もまた、ヤマロク醤油の味を決めるのに欠かせない要素のひとつ。

——ヤマロク醤油の年間の生産量は?

山本:約5万ℓ弱です。醤油屋は全国に1,200社ほどありますが、うちのシェアを計算したところ、0.004%でした。桶は年々増やしているので今は80本ですが、これも私が継いだ当初は半分以下の34本だったんですよ。でも単価の安い醤油の生産を止めた代わりに、熟成期間を延ばしたので、生産量自体は微増になっています。

——どのようなスケジュールで造られているのですか?

山本:冬場に仕込みをして、暖かくなった春〜夏に発酵し、そのあと熟成期間に入ります。うちの場合、最低でも2回は夏を越したいので1年半以上、できれば2年〜2年半は熟成させています。この時間のかけ方は、木桶の数を十分に持っていないとできない長さです。ちなみに工業的に造る場合だと、真夏以外は常に仕込みをして3ヶ月〜半年で完成します。

——ヤマロクさんならではのこだわりについても教えてください。

山本:醤油って、味と香りと色で評価するんですね。でも私は、香りと色は一切考えていないんですよ。というのも、品評会は香り重視で、その次は色。最終選考まで、実は味をみないんです。だけどこの3つのうち一般消費者がどれを最も重視するかというと、これは業界調査で明らかになっているんですが、70%以上の人が「味」と言うんです(笑)。だからうちは、“品評会で絶対に賞が取れないもの”を造ろうとしています。ただ、じゃあうちが造りたい味が万能かというと、決してそうではなくて。

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蔵内の階段を上がると、木桶に入った醤油を一望できる。目の前には、去年仕込んだものと一昨年仕込んだものが。「一昨年もののほうが堅そうに見えるのは乾燥しているからで、実際は両方柔らかいです。この醪を絞ると、醤油ができます」(山本)


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——詳しく教えていただけますか?

山本:例えば同じ小豆島で木桶で醤油を造っている正金さんと比べてみると、よくわかるんですけど。麹を作る室(むろ)を作るとなると億単位でお金がかかるので、うちでは協同組合で室を整備し、それを順番に使っているんですね。それでうちと正金さんは同じ室で、同じ種麹(たねこうじ)を使っています。

でもそれをうちの木桶で仕込むと濃厚でまろやかになって、正金さんで仕込むと色がきれいであっさりとしたお醤油になるんです。マグロのような赤身や、ハマチ、サーモンといった脂ののったもの、お肉などにはうちの醤油が適している。それに対してタイやヒラメといった淡白な白身のお刺身を食べるなら、うちの醤油では味が濃すぎて魚を殺してしまうけれど、正金さんのお醤油で食べるとおいしい。どちらかというとうちは赤ワイン、正金さんはロゼや白ワインに合う食材と相性が良い、というイメージです。本来醤油って、そうやって何種類か使い分けるのがいいんですよ。

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——醤油を使い分けることで、料理を楽しめるってことですね。

山本:食材との相性を考えると、できたら3本以上は使い分けてほしいですね。特に醤油とみりんは、料理の味をガラッと変える調味料です。おいしいものを食べようと高い食材を買うと、たしかにおいしいですけど家計を圧迫しますよね。でも普段の食材を使いながら調味料をいいものに変えれば、それだけで食生活が一気に豊かになります。

例えば、一月当たりの醤油の消費量は、2人以上の世帯で全国平均440〜460ml。でもこれは煮物をいっぱい作るような地方の大家族も含めた数字なので、普通の家庭なら200〜300ml程度です。1ℓ198円の醤油1種類だけと、100mlで200〜300円の醤油3種類を使うのと…計算してみるとそこまで大きな差はないし、1日当たりで考えたら醤油を使い分けるのは全然高額じゃない。つまり、費用対効果が非常に高いんですよ。

——確かにそう思います。ちなみにヤマロク醤油さんでは、代々継承されてきた製法や味を守っているのでしょうか?

山本:いえ、親父から私の代に変わる際、醪(もろみ)の管理方法を変えました。これによって、味が変化しています。多分うちは、“日本一混ぜない”醤油屋だと思います(笑)。これをほかの醤油屋さんに言うと「馬鹿じゃない?」と言われると思いますが、醤油の発酵学って体系化されてはいるものの、私はそれを信用していないんです。


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使用年数の長い木桶の表面に付いているのが、乳酸菌と酵母菌。まだ新しいものも100年、150年…と使っていくと、これと同じような見た目になる。

——それはどうしてでしょう?

山本:科学って、わからないことは無視して、わかっていることだけを体系化するものなんですね。それで発酵や微生物の世界にはわかっていないことのほうが多く、その一部だけを体系化しても、参考にはできるけど信用はできないんです。だってそれは工場の密閉タンクで、単一の菌を研究した発酵学なのであって、ここの蔵には150年かけて百数十種類の菌が、桶や梁、土壁に自然と生えて発酵している。そのなかで、どの菌がどんな作用をもたらしているか、何が促進し合い、何が阻害し合っているのかは、わからないんですよ。本に乗っていることが起こらなかったり、発酵学ではタブーとされることをするとかえって品質が良くなることもある。でもそれもうちの蔵の生態系だからという話で、蔵によって生態系も、菌の数も50だったり200〜300だったりと、異なりますから。

——だからこそ、味や香りもそれぞれで違ってくるわけですね。小豆島の気候もやはり適しているんでしょうか?

山本:はい。小豆島の温暖で乾燥した気候は、醪の管理に適しています。あと最近わかってきたんですけど、うちの蔵って多分、小豆島で一番寒いんですよね。東に山があって日当たりが悪く、また寒霞渓からの風の通り道で冷たい山風が抜けていく。海沿いと比べ2〜3度は違うと思います。それを考慮してここに蔵を造ったのか、たまたまなのかはわかりませんが、こうした環境もうちの醤油の味に関わる要素です。

 

迷ったときの選択基準は、「おもろいか、おもろくないか」

おいしんぐ!編集部

——「木桶職人復活プロジェクト」として、ご自身で木桶も作っていらっしゃいます。そのお話も詳しく聞かせてください。

山本:木桶って、100年以上使えるんですよ。だから一度新桶を作ると、桶屋に次の仕事が来るのは100年後になるわけです。だから2009年に、うちの桶が足りなくなって借金をし、9本新桶を発注したときに桶屋さんから言われたのが、「醤油屋からの新桶発注は、戦後初だ」でした。

——2009年で戦後初ですか!?

山本:そもそも初めて新桶を作ったのが、2000年だと言っていましたね。それが東京の青梅にある小澤酒造さんで。そのあと味噌屋に2本、お酢屋に1本、計4本しかまだ新桶は作っていないと。そこにうちが9本も発注を入れました。でもそのときに、「いつまでやるか、わからんで」とも言われたんです。というのも、桶は最低3人いないと組めないもので、桶屋は3人兄弟でやっているその桶屋さん1社しか残っていなかったのですが、三男が今年65歳と年齢的にも体力的にももう厳しい。だから、「自分の桶は自分で直せ」ということでした。これはまずいなと思って、3年かけて銀行に返したお金をもう一度借り直し、今度は新桶を3本一気に発注して、同級生の大工と一緒に桶作りを習いに行ったんです。3本それぞれ違う工程で止めてもらい、全工程を3日間で一気に教えてもらいました。それで7年前に、最初の木桶を自分たちで作って。それからは毎年1月に桶を作っていますし、3日前には43本目の桶が完成したところです。新規事業として正式に桶屋も始め、今までに醤油屋、酒屋、お酢屋に合計9本販売しました。ただ桶屋は真っ赤っか部門で、儲かりはしません。そもそも桶屋で儲けようとも思っていないのですが。

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「この桶が、小豆島で自分が作った一本目のもの。使い始めて8年目に入ったところです」と、山本さん。新しい桶を作るには、5人で10日程を要する。このサイズは18〜19石で、現在はこれよりも一回り大きい20石のものを作っているそう(※1石=180ℓ)。なお小さいものは直径が1,700cm、大きいものは1,850cmで、高さはどちらも2mだ。

——自ら木桶作りを習いに行き、新規事業にするとはすごい決断力ですね。

山本:師匠が今年の末で、いよいよ大桶の製造を辞めるんですよね。そうすると、もう新しい桶は一切作れなくなってしまう。私が生きている間はそれでも大丈夫ですけど、息子や孫の代になったら桶が使えなくなってしまいます。つまり、この先50〜100年の間に、醤油、味噌、みりん、お酢屋の桶が使えなくなってしまう、というわけです。これって全部、和食の基礎調味料なんですよね。和食は世界遺産になっていますけど、ベースである基礎調味料は工業品ばかりで、“本物”がゼロになってしまう…そのタイムリミットが今年でした。それで思ったんですよね。「誰もしないなら、自分でやればいいやん」って。

——なかなかできることではないですよね。

山本:私の迷ったときの選択基準が、「おもろいか、おもろくないか」なんですよ。桶屋がいなくなったときに木桶を使うのを止めてタンクにするとか、いろんな選択肢があったなかで、「自分で桶も作ったらおもろいやん?」って思ったんですよ(笑)。だって、簡単でも面白くないことは続かないですけど、難しくても面白いことは続きますから! 一緒に桶作りを習いに行った大工は、最初は「こいつ何を言い出すんだ…?」と思ったらしいですけど(笑)。

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来週からの仕込み準備と、出荷作業に追われ、1年で最も忙しいという11月中旬。観光客もひっきりなしに訪れ、蔵見学をしたり、「ヤマロク茶屋」を利用したりしていた。コロナ禍前は年間5万人弱、うち外国人観光客が7,000人は訪れていたという。

——山本さんのほかに、誰もやっていなかったのは何故でしょう?

山本:師匠は、「自分の言葉を真に受けたのは、お前だけだ」と言っていましたね。正直、ある程度の企業規模になると、自分らの退職後のことなんて知ったこっちゃないでしょうし、小さい会社さんの場合は「どうして良いかわからない…」というところで止まっている、という状況でした。

——「面白いかどうかが判断基準」、その裏には醤油業界や日本の和食文化の未来のため…といった使命感もあったのでしょうか?

山本:いや、そんなことはないですよ(笑)。そういう大それたことよりは…自分が死んで墓に入るじゃないですか。孫やひ孫がお参りに来ますよね。そのときに、「あのじいさんの代で桶屋がいなくなったから、もう醤油造れんわ」って言われたら、腹が立つじゃないですか?(笑)

でも、「あのじいさんが桶も作り始めたから、俺らは醤油も桶もつくれるね」って言われたら、嬉しい。だからするんです。業界をどうしよう、和食をどうしようなんて、スタートのときは何も考えていない。やらなければ桶屋がなくなるし、子供や孫たちの代が困る、ただそれだけです。

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「醤油や味噌の木桶は、基本的にメンテナンスはしません」と山本さん。
塩分があるので木が腐らず、醤油を吸って木が膨れるので漏れもしない。使っているほど長持ちする。木桶を補強する場合は、状態にも寄るが、例えばタガが緩みそうなところをバンドで補強したりする。醤油なら、1度補強すれば30~50年は問題ないとのこと。

——プロジェクトを立ち上げて、他の会社にも桶作りを広めているところもなかなかできないことですよね。

山本:桶作り2年目からは、きちっと作っている地方の醤油メーカーさんに、面識がなくても電話をかけて、「社長、一緒に桶作りません?」と声をかけていったんです。というのも、師匠が辞めた後、新桶はうちで作りますが、他の蔵の菌を持ってきたくないので、組み直しやメンテナンスはしないんです。だからメンテナンスは、みんながそれぞれしなければいけない。そのやり方は教えますから、ということで。ずっと言ってるのが、「1%しかない木桶仕込みの醤油市場を奪い合うのは、止めませんか?」と。そうじゃなくて、みんなで木桶をPRしながら、1%を2%にしましょうと。

——それはどんな考えからでしょう?

山本:競争するなら、自分たちの造りたい品質や味でやればいいのであって、1%の市場を奪い合うよりも、みんなで2%にするほうが楽じゃないですか? 使っていない桶があればそれを使って回転率も利益率も生産量も上がるし、桶が足りなくなったら桶職人に仕事がきて、イコール技術が残るし。そして消費者にとっては、本物に出会う機会が2倍に増えるわけです。大手さんの売り上げは少しだけ下がりますけど、所詮1%の市場規模ですからね。ということはつまり、誰も損しないんですよ。そうじゃなくて、1%の市場が増えずうちが桶を作ってPRしながらメディアに取り上げられていきシェアを増やしていく…となると、自分で自分の孫の首を占めてしまうな、ということにも気づいたんです。


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直売所には、“利き醤油”ができるコーナーも。「出荷の2割を占める『菊醤』は、一般的なお醤油と違ってあまり塩辛さがなく、後口が少し甘いのが特徴で煮物に合う。それに対して出荷の8割を占める『鶴醤」は味が濃く、旨みが強い。お肉に合うのはこちら」(山本)

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——そういうことだったんですね。

山本:自分のところのものだけが売れたら良いと考えた時点で、桶屋の仕事はなくなりますから。そうすると技術が途絶える。でも本来、孫の代にも桶屋がいないと意味がありません。だから桶屋の仕事があるためには、全国の本物を造っている醤油屋や味噌屋の売り上げが上がることが、大前提なんです。今ではプロジェクトに、醤油屋を中心に、酒、お酢、味噌、ソース、ビール合わせて、40社弱が集まっています。

——山本さんのそういった発想は、サラリーマン時代からあるものなのですか?

山本:いえ、サラリーマンのときは売り上げを上げるのに必死でしたよ。でもどうでしょうね…こういう考え方はうちの家系なんだと思います。ひいじいさんは無給で農協の組合長をしながら、私が勤めていた会社の発起人として出資していた人で。じいさんも消防団で活動していたし。親父は親父で無線が好きで、壊れた無線を無償で直してやるだけでなく、さらにグレードアップさせて返したりしていました(笑)。そういうことかな?と思います。実家に帰ってきて地元の行事に出ると、年配の方々から「お前のじいさん、ひいじいさんには世話になった」と言われましたから。

 

木桶仕込みの「プレミアムソイソース」で世界に切り込む

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——そもそも、家業を継ごうという想いは、昔から持っていらっしゃったのでしょうか?

山本:いえ、何も考えていなかったです。大学卒業して継ごうか?と親に聞いたとき、「儲からんし、給料も払えんから、もうええわ」と言われて。それで小豆島の佃煮メーカーに営業職で入社しました。でもそこでスーパーの商談に行くと、値段とボリュームとパッケージデザインのことばかりが話に上がります。バイヤーに売らせてくれ!と言わせたい、という気持ちが湧いてきました。それと同時に、うちなら木桶があるから、それができるのではないか?と。でも帰ってきて決算書を見たときに、親の言っていたことがわかりましたね。よう潰れてないなっていう…(笑)。だから継いだ当時は、どうやって飯を食って行こうかと考えるのに必死でしたね。

——その状況をどうやって改善したのでしょう?

山本:当時は全体の約4割が、木桶で造る添加物入りの安い醤油でした。それを代替わりしたときに、一気に値上げしたんです。値上げ案内をお客さんに郵送で送って、「注文来るな…!」と祈りながら顧客整理をしました。そうして空いた桶に無添加の醤油を仕込み、小さい瓶の商品を出したんです。造れる量が決まっているので、単価を上げるしかないわけで。あとは利益率の高い直販を増やすしかないと、メディアに何回か出たりして、100件程あったリストからDMを出し、徐々に直販を増やしていきました。結果的に、親父の代からすると、お客さんは売り上げ構成比の98%変わりました。

——これから先、会社や事業をどんなふうにしてきたいと考えていますか?

山本:会社は変わらず桶のある数だけ、醤油が売れたらいいなと思っています。あとは「木桶職人復活プロジェクト」のほうで、木桶を使った醤油の国内シェアを2%にしようというのに加えて、去年頃から新たな目標が増えました。「世界の1%を取りにいこう」と。

——世界ですか。

山本:世界の1%=日本の2〜3%になるはずなんです。つまり世界の醤油市場の1%を木桶仕込みにして、「クラフトソイソース」を「プレミアムソイソース」にしてやろうと。いろんな地方のメーカーさんが集まっていますが、人口減少や後継者不足で廃業するメーカーさんもおり、その浮いたシェアを取って細々と生き残っていたりするのが実情です。でも世界の1%を取りにいこうとすると、地元の市場がシュリンクしているなかで、突然市場が世界規模になる。そこで自分たちの追い求める醤油を良い!と思ってくれる、ほんの一部の人を捕まえさえすれば、十分やっていけるんですよ。そうすると地方の醤油屋さんが生き残り、桶屋も残り、技術も残っていく。その流れをつくっていかないと、しんどいかなと。


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軒先にはオープンカフェ「ヤマロク茶屋」も併設。
330円の「焼き餅」は、七輪の上で焼いたお餅に「鶴醤」と「菊醤」の好きなほうをハケで塗って、食べることができる。 土日祝日限定の「卵かけご飯」や「醤油プリン」なども揃えている。

——みんなで生き残るということが肝なんですね。

山本:そもそも醤油屋って、一番儲からないんですよ(笑)。味噌と醤油を造っているところは、大体味噌で儲けて醤油の赤字を補填しているところが多いです。それに引き換え、酒屋はちゃんと儲かるんです。酒は嗜好品。マニアをしっかり捕まえなければいけませんが、好きな人は一升瓶を1週間で飲む上に、単価も高い。それが醤油の場合、同じ一升瓶を消費するのに一家族で半年とかかかりますよね。しかも単価が安い。だからお酒と違って、醤油は薄利多売で、広く浅くお客さんを捕まえなければいけません。ただその代わり、醤油のいいところを挙げるとするなら、醤油を使わなくなるということはないだろう、という点です。

——儲からないとおっしゃっていても、醤油造りを続けているのは、やはりこの仕事が面白いからでしょうか?

山本:おもろいですよ!(笑)醤油造りも桶作りも、楽しいです。

 

では、最後に…。
山本さんにとって、「おいしい」とは何でしょうか——?

おいしんぐ!編集部

山本:結局のところ、好みじゃないですか?僕も自分好みの醤油を追求しているわけですから。0.004%しかない国内シェアですが、うちの追求する醤油がおいしい!と感じる人に見つけてもらえたらそれでいい。逆に大勢の方に見つけていただいても、生産量が追いつかないですからね。それに、うちの醤油を100人が100人おいしいと言ってくれるとは、さらさら思っていないですから。食材との相性はもちろん、やっぱり好みがありますからね。きちっと真面目に造っている地方の醤油や味噌や…みんながそれぞれ売れるというのが、私の描く理想です。

企画・構成/金沢大基 文/木口すず 写真/曽我美芽



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